地の先導者 <4>



鏡に映るのは当たり前だが自分の顔だけだ。
自分で言うのもなんだが、女のようだと思う。
シリスと出合った時よりは外見だって成長したはず。
多少は男らしくなった……と思いたいのに。
どう贔屓目に見てもそこに映る顔は男に見えなかった。
それが悲しいぐらいわかってしまう。
けれど、外見はどうであれ自分は男でしかない。
その思いはいつもスーリャの中にあった。
いくら同性であるシリスを好きになったとはいえ、その部分を変える事などできない。

性別を変える事が可能だと、ルー・ディナは言った。
この想いに形ある何かを残せたら。
それが彼との間に子供を、という考えに至ったのは事実だ。
けれど――。
なぜだろう。
それが性別を変えるという考えに繋がる事など、スーリャは思いつきもしなかった。
そもそもスーリャの常識の中に、自然な性転換というものはない。
元いた世界でも、性転換がなかったわけではない。
けれど、それはこの世界、カイナで言うものとは全然違う。
性別を変え、ましてや子供まで儲ける事ができる性転換などあの世界にはなかった。
それがカイナでは普通に起こり得る事なのだと、自分にも起こり得る事なのだとルー・ディナは言う。

そこまで考えて浮かんだのは困惑だった。
そんな事無理だと、不自然だとスーリャの中で主張するものがいる。
子供を望まないわけではない。
でも――。
おぼろげな恐怖。
未知の事への不安。
そんなものがない交ぜになって、スーリャの中で拒絶へと育っていった。
シリスに子供は必要だ。
王に跡継ぎは必要なのだ。
そう思う心があるから、スーリャは子供を望む思いが心から欲するものなのか、二人が一緒にいるための必然的な義務のためなのかわからなくなってしまう。
心の行き場を失い、スーリャは途方に暮れた。

けれど。
今のままでいられる事はない。
それだけは確実にわかっていた。
いくらそれを望もうと時は流れ、このままいけばたぶんシリスは結婚を強いられる事になる。
スーリャが男である以上、シリスと結婚する事はできない。
というか、そもそもスーリャはシリスと結婚する自分というものがまったく想像できなかった。
だまし討ちのような感じとはいえ婚約しておいて思う事ではないけれど、スーリャの想いはただシリスの傍にいたかっただけ。
確かにこの想いの証をもらえたようで、今も胸元で控えめに輝く青い石の存在はうれしい。
けれど、それだけだった。
大切なのは、シリスを想うこの気持ち。
そして、彼に想われる、与えられるその気持ち。

だから、もし。
もしもいつかシリスが誰かと結婚する事になったとしても、大丈夫。
でも、あと少しだけ。
今の時が続くといい。
今だけは彼は自分のものであって欲しい。
それ以上は望まないから――。

そこまで考えて、スーリャは苦笑を浮かべた。
あるかないかもわからない先の事を考えても仕方ない。
結局、この件に関してはシリスを信じるしかないのだ。

スーリャは寝室を出て、陽光がサンサンと降り注ぐ居間の長椅子に移動した。
今まで考えていた暗い考えを溶かしてしまうような光。
それを全身に浴び、深く息を吐き出す。
今だけは――。
ゆったりと背もたれに寄りかかり、彼は考える事を放棄したのだった。



夕方、帰ってきたシリスと共に夕食を取り、先に湯浴みを済ませ、あとは寝るだけといった状態で、スーリャは昼間と同じ長椅子に座り外を見ていた。
そこには昼間とは一変し、闇に沈む森の姿があった。
息をひそめるような静かな沈黙が、夜の森を支配している。

「ラシャから話は聞いた。蒼夜、外に出る時はラシャを連れていけ」
唐突に後ろから声が聞こえ、スーリャは驚き振り返る。
「確か幻術は使えたな? それなら幻術でいいから髪の色も変えた方がいい。この辺りで黒髪は目立つからな」
見上げたその先には、シリスが静かに佇んでいた。
いつからそこにいたのか。
気配がまったく感じられなかった。
驚きに彩られた海底の色をした瞳と、静かに陽の光をたたえた金色の瞳が交差する。
「ほんの少し、そこに行くだけでも?」
「ああ。この館から出る場合には」
否を許さない強固な物言いに、スーリャの顔が訝しげなものになる。
「なんで? もう護衛なんて必要ないだろ? 俺はもう審判者じゃない」

ラシャはただの世話係ではない。
スーリャの護衛を兼ねている。
今日初めてその事実を知ったのだが、その彼女を連れて行けという事は自分にはまだ誰かに狙われるような理由があったという事なのか?
誰かに恨みを買うような事した覚えもないんだけど……。
心底不思議そうに首を傾げ、スーリャは見当違いな事を考えていた。
彼にはシリスの言い分が理解できない。
今の自分はなんの肩書きも持たない唯の人間。
元は異世界の人間だろうと、少数の、力の使える人間だろうと、そんなもの吹聴でもしなければわからない。
どこをどうみてもスーリャはどこにでもいるような普通の人だった。
それなのになぜ?

全然わかっていないスーリャにシリスがわざとらしくため息をつき、
「……蒼夜。俺の肩書きは?」
疲れたように問いかけた。
スーリャは何を今更といった表情になり、
「王さま」
簡潔に答え、そんな事を訊ねる彼の意図がわからずに瞳で問う。
「蒼夜、おまえは?」
真向からスーリャの視線を受け止め、シリスは更に問いを重ねた。
「唯の人だろ?」
スーリャは訳がわからず、少々不機嫌になりながらも簡潔に答えを返す。
それにシリスが呆れたような顔をして、深々とため息をついた。
「……蒼夜の考えはよくわかった。俺が遠回しに言わせようとした事が間違いだった」
その声が少しだけ残念がっていたのだが、スーリャは気づかない。
「なんだよ、いったい」
本格的に不機嫌になってしまったスーリャの頭を撫で、シリスは苦笑した。
「蒼夜は俺の伴侶だからな。心配なんだ。俺の心配の種を少しでも減らすと思って我慢してくれ」
額に口付けられ、間近から覗き込まれるように見つめられ、スーリャは悪態をつくこともできずに頬を赤くした。
「……わかった」
小さな是の答えにシリスはホッと息をつき、いまだ初々しい反応をするスーリャの様子を堪能する。

ただし、心の隅では本来の事も忘れない。
だが、それを今この場でスーリャに告げる気は微塵もなかった。
それにはまだ、時期が早すぎる。
多少騙まし討ちの様にして婚約し、スーリャの中ではまだそれほどの自覚もできていないはずだ。
元々スーリャは結婚という事を視野に入れていなかったのだから、尚更そうだろう。
どこまで自覚できているかも怪しい所だ。
シリスが王である事はわかっていても、結婚すれば自分が王妃になるという事。
今、自分が一番王妃に近い立場にいるという事。
シリスと婚約したという事はそういう事だと彼の中で結びついていれば良いのだが……。
今までの彼の発言を聞いて予想するに、たぶんそこまで自覚できていない。
今はそれでもいい。
けれど、ゆっくりとでもいいから自覚してもらわなければ。

問題は正式に王の伴侶だと、近い未来の王妃になる人物だと発表するまでの間だ。
それまでは多くの者にスーリャの存在を知られるわけにはいかない。
その分彼の危険が増す可能性があるからだ。
それに性別の事がある。
ちょっと見ただけではわからないだろうが、男だとわかればこの話は即潰される事はわかりきっていた。
それでは困る。
とは言っても強行に出れるほど肝の据わった奴などもういないとは思うのだが、人間欲が過ぎれば何をしでかすかわからない。

とりあえず王国の危機を脱した現在。
以前ほどではないにしても、ジーン王国はそこそこの豊かさを取り戻しつつある。
禍による傷は浅いものではなかったはずだった。
けれど、不思議なほど立ち直りは早く、もう少し月日が経てば完全に回復するだろう。
シリスにそう思わせる何かが王国を取り巻いていた。
たぶんこれが禍から生き残った国が受ける『天の審判者』の恩恵なのだろう。
そして、ジーン王国には恐慌期間に新たに培った交易網がある。
それが新たな発展をもたらす事になる。
そんな発展途上な国の王妃に立つ。
他人事のようだけれど、それはまあ魅力的な地位ではあるはずだ。
でも、シリスからすればそんなものに惹かれてやってくる輩など論外で。
そもそも彼はスーリャ以外に伴侶を必要とはしていない。
けれど、それが王という立場においてどこまで通用するか。
それはシリス自身にもわからなかった。
このまま何事もなく進めばいいのだが――。
一波乱起きそうな予感をシリスは打ち消す事ができなかった。

独り物思いに沈み、憂鬱そうにため息をついたシリスを、スーリャが心配そうに見上げる。
「疲れているなら早く寝た方がいい」
立ち上がり、シリスを寝室に導き、はたと気づく。
「今日は何もするなよ。絶対だからな!」
ビシッと宣言したスーリャに、シリスは笑う。
「わかっている。昨日は無理をさせたからな。今日は大人しくしておくさ。――そういえば、予想以上に元気そうだな。もっとクッタリしているかと思えば」
今更だが、目の前にいるスーリャの元気そうな様子を不思議に思った。
「治癒術を使ったからな! じゃなきゃ、こんな風にいられるわけないだろ!」
恥ずかしさを誤魔化すようにスーリャが怒鳴るように言い返せば、シリスが奇妙な顔をした。
「治癒術?」
「そうだよ。本当ならこんな理由で使うべきものでもないのはわかっている。俺だってできれば使いたくなかったよ。でも、そうしないと今日一日まともに動けそうになかったんだから仕方ないだろ。これ以上、ベッドに拘束されてたまるか」
勢いよく理由を捲し立てるスーリャを落ち着かせるように、シリスが彼の頭をポンポンと撫でる。

「その点に関しては俺も多少は悪かったと思っている。そうじゃなくてだな。まさか蒼夜が治癒術まで使えるとは思っていなかったからな。驚いたんだ」
スーリャはキョトンとなり、シリスを見た。
首を傾げて、しばし考える。
「あんた、知らなかったんだ。俺が治癒術使えるって。……そう言えば、あんたの前で一度も使ったことなかったな。まあ、必要なかったからだけど」
「ああ、知らなかった。治癒術は守護者の血筋の内、その血を濃く受け継ぐ者だけが使えるものだと聞いていたからな」
「そうらしいね。そういう意味では俺はその範疇外だ。でも、俺は神さま達の恩恵を色濃く受けているだろ? だから、使えるんじゃないかって、ナイーシャさんが言っていたよ。治癒の呪は大地の祈りと恩恵。メイ・ディクスの加護の力だから」
「…………そうかもしれないな」

難しい顔をして考え込んでしまったシリスに、スーリャが困惑する。
「あんた、本当に今日はどこかおかしい。さっさと寝ろ」
ポンとベッドを叩き、スーリャはシリスを促す。
それに従い、ベッドの端に腰かけたシリスがスーリャの身体を引き寄せた。
「おまえも一緒だ」
耳元で囁き、彼の身体を抱き締めたままベッドに横になる。
「俺は別の部屋で寝る。あんただって一人の方が落ち着いて眠れるだろ?」
腕の中でもがくスーリャの身をしっかり捕らえたまま、
「つれない恋人だ。俺が安眠できるのはおまえの傍だけだというのにな」
小さくぼやき、身動きを止めた彼の額に口付けを贈る。
「俺のためを思うなら、ここにいてくれ」
スーリャは小さく息を吐き出した。
「……しょうがないから、あんたの抱き枕になってやるよ」
そう言いながら力を抜き、身体をシリスに預ける。
シリスはスーリャが寝やすいように抱き直した。

暗闇の中。
感じるのは互いの体温のみ。
けれど、そこは安息の地。
二人は小さな幸せを胸に、眠りについたのだった。





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2007/09/17



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