地の先導者 <35> |
翌日の夕刻。 スーリャはナイーシャのいる奥宮にいた。 「ナイーシャさん。これはちょっと……飾りすぎじゃない?」 姿見の中には引きつった顔をした少女の姿が映っている。 「何を言っているの。これでも少し控えめにしたのよ。大丈夫、十分可愛いわ」 スーリャがラシャに助けを求めるように視線を向ければ、 「とてもお似合いです」 ラシャが満足そうな笑みを顔に浮かべていた。 早々に彼は己の味方がここに居ないことを悟り、苦笑いする。ナイーシャとラシャは顔を見合わせ、健闘を称えあったのだった。 今から時を遡ること、数刻前。 スーリャにとっては難儀な、ナイーシャとラシャにとっては至福な、時は始まりを告げた。 普段、まったく飾ることを好まないスーリャである。こういう時でないと彼が着飾ることは絶対にない。 その機会をずっと窺っていたナイーシャは、今回、存分にその欲を満たすべく本人よりも張り切っていた。その思いはラシャも同様で、この好機に嬉々としている。 今回の夜会のことをスーリャが知ったのも、きっかけは彼女達だった。 衣服全般に当の本人はあまり興味がなく、普段から彼はそういう部分をラシャに任せきっていた。そのこともあり、当の本人のあずかり知らない所で準備は進み、彼が知った時にはほぼ終わっていた。 スーリャが普段好んで着る男性用の衣は、実用性が第一に置かれる。女性用とは違い、華美の欠片もない簡素な物が多い。 だが、今、身に付けているのは当然の如く、女性用の衣だった。 滑らかな手触りと、柔らかな光沢を持つ生地。 上衣の色は、彼の瞳の色に合わせた蒼だった。うっすらとグラデーションがかかり、裾に行くほど色味が深くなる。 下衣の色は、黒に見紛うほど深い濃紺。 この国でも小柄な部類に入るスーリャに、両方ともピッタリだった。 この日のために特別に用意された衣。 特注品。一品物。 そんな単語がスーリャの頭を過ぎる。金銭感覚も身についてきた彼にとって、袖を通すことすら恐ろしかったそれを、彼女達は気にするでもなくさらりと彼に着付けし、その腰に飾り紐で複雑な模様を描きながら結んでいく。 普段は背に流したままの髪もキッチリと纏め上げられ、これまた飾り紐や簪で飾られる。そして、最後の仕上げにと薄化粧までされた。 初めは多少抵抗していたスーリャも、最後にはもう勝手にしてくれと言わんばかりに疲れ果てていた。 冒頭のやり取りは、そうして出来上がった自分の姿を改めて鏡で確認した時のものだ。 青の聖石だけは、普段と変わらずに彼の胸元でその輝きを放っている。 「……今日は内輪だけの夜会、なんだよね?」 「ええ、そうよ」 頷くナイーシャに、往生際悪く問い掛ける。 「なら、これほど飾る必要はないんじゃない?」 今更、彼女達の労力を無にするのは気が引けるし、シリスの隣に立つにはそれなりの恰好をする必要があることも理解しているつもりだ。 だが、いざ飾り立てられた自分の姿を見ると、そう言わずにはいられなかった。 ナイーシャも参加するはずなのに、彼女は普段とほとんど変わらない格好をしている。彼女の場合、普段からキッチリとした服装をしているので今更かもしれないが――。 「今日の主役はあなたなのよ。陰険じじぃどもに文句を言わせないためにも、ここでしっかり見せつけておくの。シリスの隣に相応しい人はあなたしかいないって、その魅力でもって悩殺してきなさい」 表情を険しくしたナイーシャがスーリャの鼻先を指さし、ビシッと言い切る。だが、その内容は――。 いろいろ、イロイロ、色々。 問題になりそうな単語が、感情のままに暴発していた。 ふと心配になったスーリャが、遠慮がちに問い掛ける。 「ちょっと聞いておきたいことがあるんだけど、今回の集まりの規模は?」 内輪という言葉に安心して、そこまで考えが至っていなかったことに気づいたのだ。 「そうね。大体五十人くらいじゃないかしら。大半がこの国の中枢を担っている、要職に就いている者達よ」 ……………。 「ナイーシャさん。俺、そんな人達と対等に渡り合える技術なんて持ち合わせてないんだけど……」 スーリャは青ざめた。 日本で言えば、大臣とか政治家とか言われている人達が集まるということだ。 「何を言うの。あなたの作法は完璧よ。王族としてどこに出しても恥ずかしくないほどじゃない。そこらの令嬢なんて目じゃないわ」 ナイーシャは勇み足なスーリャに、自分のことのように彼の立ち居振る舞いを誇らしく語ってみせるのだが、対する彼に自信はまったく無い。 自分は、日本の普通の中流家庭に生まれた一般人である。 「身体が覚えているわよ。私がみっちり教えたことを普段でも無意識にやっているでしょ」 先程とは別の意味で、スーリャは青ざめる。 「……え〜と、ナイーシャさん。つかぬことを聞きますが、あの鬼……いや、スパル…、違う、う〜と、なんでやらされているかわからなかったアレがソレなわけ?」 確かに食事マナーとか、やってはいけないこととか、こういう時はこういう切り返しだとか、はたまた歩き方とか、立ち姿だとか、その他諸々。 まだ奥宮に住んでいた時、彼女から教わったことは多岐にわたっていた。 その中のなんだかよくわからないまま身につけされられた諸々は、ある意味、彼の役に立っていたが、まさかそんな目論見のために身に付けさせられていたとは……。 そもそもあの当時、自分がシリスとこういう関係になるとは考えてもいなかった。 だが、思い返してみれば、ナイーシャは初めからスーリャをシリスの嫁宣言していたのだ。用意周到に計画実行していてもおかしくない。 知ってしまった真実に、スーリャは脱力する。 「何か聞き捨てならない台詞が混ざっていた気がしないでもないけど、まあいいわ。スーリャ、あなたに今足りないのは自信よ。胸を張って、堂々としていなさい。ほら、迎えが来たわ」 ナイーシャの言葉と共に扉が開いた。 そちらを向いたスーリャは、その場で固まり、動きを止めたシリスの姿を目撃することになる。 |
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