地の先導者 <34> |
こうして双方の問題は、幕を閉じたのだった。 とはいっても、あの後、心配を掛けた面々には怒られ、詰られ、謝られ……と色々あった。 特にシリスに対するナイーシャの怒りは熾烈で―― 彼女とリマは親子だとまざまざと感じた。二人が似ているのは外見上だけではなかったのだと、今更ながらに思う。 ナイーシャの行動は明確で素早かった。 出合い頭に笑顔でいきなり往復ビンタって……。 一発目は受けて、二発目は避けたシリスの反射神経も、親子の連係プレーよろしく、そこに狙いを定めて本を投げるリマもどうかとは思う。しっかりシリスはそれも防いでいるし。 シリスの隣にいたスーリャの巻き添えを心配したラシャが、彼を安全地帯に移動させる。眼前に広がる応酬はまだ続いていた。 スーリャは自分の目を疑った。だが、瞬きを繰り返しても、この場所はどこぞの闘技場ではなく、奥宮にあるナイーシャの応接室にしか見えない。 彼は驚いていいのか、呆れていいのか、本気で迷ったのだった。 そんなこんなで諸々の件が落ち着いて、およそ一月ほど経ったある日のこと。 スーリャの身体の変化は安定し、彼は二つの性を合わせ持つ存在へとなっていた。けれど、今の所はさほど目立った大きな変化は感じていない。 あれだけ混乱と恐怖を抱いていたというのに、今ではなぜあれほど嫌だったのかわからないといった有様だった。 そんな変化の日々をゆるりと送っていたスーリャだったが、ここにきて彼にとっては予定外のことが起こった。 館の居間で、シリスとスーリャは向き合うように別々の椅子に座っていた。 一方は心底弱り切った顔で、一方は仏頂面で見つめ合う。 「悪い。伝え忘れていた」 自分に非があるだけに、ひたすら低姿勢なシリスに、スーリャが口を尖らせる。 「なんでそんなもの勝手に決めたんだよ」 当然、口調にも棘があった。 「いや、決めたのはリマなんだが……押し切られた俺が悪いな。完全に忘れていた俺が全面的に悪い」 実際、色々なことがあり過ぎて、それの処理や対応でバタバタしている内に、夜会のことなどすっかり頭から抜け落ちていた。 だが、この場合、言い訳は無意味。 スーリャの感情を逆撫でする要素にしかならない。 「そうだよ、あんたが全面的に悪い。なんで今の今まで忘れていられるんだよ。しかも、三ヶ月も前に決まっていたことを、なんで前日に! 当事者である俺が、同じく当事者であるあんた以外の人から聞いて初めて知ったって……どう考えてもおかしい」 明日、内輪の夜会があり、そこでシリスの伴侶としてスーリャをお披露目する。 彼にとっては、寝耳に水な話だった。 「すまない。この通りだ。……俺と一緒に出てくれるか?」 平身低頭、このまま進めば土下座でもしそうな勢いに、スーリャが深々とため息をついた。その気配にシリスが深々と下げていた頭をほんの少しだけ上げ、伺うように彼を見る。 「……出るよ。今更、中止するわけにもいかないことぐらい俺だってわかる。あんたの隣を誰にも譲る気がない以上、遅かれ早かれこうなるってぐらいわかってる。そんな諸々も含めて、俺はあんたを受け入れたんだから、今更逃げないよ。ただ、条件が一つある」 「条件?」 訝しげに繰り返された台詞に、スーリャは「そう」と頷く。 「俺、仕事がしたい。この場所にも環境にもだいぶ慣れたし、このままずっとあんたに頼りっぱなしは嫌なんだよ」 「仕事、か」 シリスの顔が渋面になった。 「正式に王妃になれば、当然、公務は発生するが――」 「俺に政治向きの仕事は出来ないよ」 「王妃が国政に参加したという例は過去にもあまりないぞ。まったく無いわけでもないが、王妃の仕事は第一に王を支えることにあるからな。公務の中身については徐々に覚えていけばいい」 シリスの言葉に呼応するように、スーリャの表情が徐々に顰めっ面に変化する。 彼の示す事柄が嫌なわけではない。彼と歩む以上、いずれはそういう事も覚えてこなしていかなくてはならないと思う。 だけど、それは何年先のこと? 「―― それじゃあ、今とほとんど変わりないじゃないか。やっぱりおんぶに抱っこだ。そうじゃなくて俺、ナイーシャさんの手伝いをしようと思うんだ。見習いから初めて、徐々に仕事を覚えていこうと思う」 癒しの力を持つ者は、医療の道へと進む者が多い。 彼らの数はほんの一握りで、医療者すべてがその力を持つわけではない。けれど、その力は昔から重宝されてきた。 そして、けして万能ではないその力を補うため、より効果を高めるための知識を、彼らは永い年月を掛けて研鑽し伝えてきている。 ただ、その力を狙われることも多い。だからこそ、彼らは守護師に集い、その名のもとに保護、管理される。 「その言い方だと、ナイーシャさんは了承したんだな?」 唸るシリスに、スーリャはコクンと頷く。 「あんたの了解が得られればって条件付きで」 そうは言いつつも、現在、シリスに拒否権など初めから与えられていない。彼はこれに是と答えるしかない。 初めからスーリャを籠の鳥になど出来ないとわかっていた。 彼は己の隣で、己の伴侶として、いずれは王妃となって寄り添うと言う。 これ以上の束縛など、するべきではなかった。彼が自ら己の傍に留まり続けることを望んでくれたのだから。 それに本当は、スーリャの話はシリスにとっても悪い話ではない。 ナイーシャの側なら安全で、彼女にならば彼を任せられる。 シリスはそう自分に言い聞かせ、返事を待っているスーリャに仕方ないとでも言いたげに弱々しく笑い掛ける。今は完全に自分の方が、分が悪い。 「様子見で週に三日からだ」 週に三日。けして多くはないが、様子見ということは今後の自分次第では日数が変化するということだ。 「ありがとう、シリス」 スーリャはシリスから言質を取ったことに、とりあえず満足して満面の笑みを彼に返したのだった。 |
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