地の先導者 <32> |
ずっと同じ体勢でもしていたのか。とりあえずシリスは固まった身体を解すために、多少身体を動かしても支障のない場所に移動する。 節々がえらく痛かったが、それ以外の被害はないらしい。自分で切ったはずの腕の傷も、血の跡とうっすらとしか傷跡を残すだけで完治していた。 あの状況を思い返すと、この程度で済んだのは奇跡だろう。 そして、あの男の言う通り、見え方がおかしいことに気づいた。 確かに見える。見えるのだが、これは見え過ぎだった。 普通の範囲を超えた視界に、シリスは頭を抱えて目を瞑る。だが、それでも見える。 いったいどういう方法で自分はこの光景を見ているんだか――。 「こんなものどうしろって言うんだ。どう考えても見え過ぎだろ」 思わずそうぼやいていた。 瞼を閉じれば見えない。絶対、見えない。俺は何も見ていない。 これ以上余分な物を見ないために、シリスはそのままの体勢で自分自身に暗示をかけるように心の中で繰り返す。 何度も、何度も、ひたすらそれだけを考える。 そうするとやっと何も見えなくなり、ほっと油断して開けば、膨大なモノが一気に視界に入って頭痛がした。 反射的に瞼を閉じると、しっかり何も見えなくなっている。 この方法でいける。 そう確信したシリスは、別の文言で同じ方法を試した。 俺が見るのは以前と同じ範囲だけ。瞳で普通に見えるモノ以外、見えない。普通の人間が見えるモノ以外は見えない。 何度も何度も繰り返し、恐る恐る目を開ける。視界がやっといつもと同じくらいまで戻りで、彼はほっと息を吐き出した。 ただ、最後の暗示はいまいち効き目が薄いのか、初めよりましになったもののそれでも余分なモノが見えている。 普通の人間は見ることも感じることも出来ない。シリスでも今まで感じるだけだった物体などが、どうやら見えるようになってしまったらしい。 「……これは、慣れるまでしばらく掛りそうだ」 違いはわかるつもりだが、ここまで雑多だとなかなかにうっとうしい。 そんなことをぼんやり考えていると、 「何が?」 いつの間に目を覚ましたのか、スーリャが長椅子から起き上がりこちらを見ていた。 「……蒼夜、おかえり」 両腕を差し出してきたシリスに、スーリャは惑うように近づき、けれど、逡巡すること無くその腕の中へスッポリと納まる。 ここは、自分だけの特等席。 「ただいま、シリス」 スーリャははにかみ笑いを見せ、その耳を彼の胸へと押し当てる。そこでは彼が生きている証が確かに規則正しく、少しだけ早い音を刻んでいた。 ここが、自分の居場所。 シリスの傍がスーリャの生きる場所。 触れる部分から伝わる温もりに包まれて、スーリャはほっと息を吐き出す。 「俺、母さんに会ってきたんだ。やっぱ母さんは最強だった。俺の想像の百八十度斜めを変化球でぶっ飛んで行くんだよ。しかも、重大事実はサラッと流すし、あっけらかんとしてるし。なんか悩んでいたのが、全部、馬鹿らしいほど単純なことみたいで吹っ飛んだ」 スーリャはクスクス笑い言葉を紡ぐ。 その両腕はシリスの背に回されて、離さないとでも言いたげにギュッと力が込められていた。 今までだって十分我が侭を通してきたつもりだ。 けれど、許されるならもう少しだけ――。 「俺、あんたと家族になりたい。いずれあんたの子供だって欲しい。俺が産みたいんだ。だから、そのために必要だってんなら女にだってなる」 自分の方を見ないスーリャの頭を、シリスはそっと宥めるように撫でる。 「……ホントはさ。母さんと話すまでは女になるってことがすごく怖かったんだ。俺にとっては完全に未知の世界だし。俺が俺で無くなるみたいで嫌だった。でもさ、あの人、そう言った俺になんて答えたと思う? 俺に女の子らしい教育をしてこなかったって心配して慌てるの。変だろ、俺、母さんにとっては男だってのにさ」 改めて母と話して気づいたことはいくつもある。普段、当然だと思っていたことは、けしてそうではなかったのだと気づかされた。 しっかり言葉にして話さなければ伝わらないモノはあるし、話しても理解できない、理解されないモノもある。 でも、自分の気持ちを相手に言葉にして言わなければ何も始まらない。 訊かなければわからないこともあるし、中途半端な情報で勝手に自己完結するべきではないのだ。 「話してみて母さんにとっては俺の性別が男でも女でも変わりないってことがよくわかった。自分の子供が俺であることが大切で、血の繋がりすら二の次なんだ。しかも、愛読書がBL本って……。俺の相手が男かも? ってだけで、目輝かせていたし。―― 俺、あんたと一緒に居られて幸せなんだ。あんたにだって俺と居て幸せだって思ってもらいたい。その為の努力だって必要だし、選択肢はたくさんあった方が良いだろ? 俺、あんたに浮気を許せるほど心は広くない」 スーリャは未来に『もっと』を望むことを自分に許した。 彼の顔に自然と晴れ晴れとした笑みが浮かぶ。 そのために必要な努力を怠るつもりもない。 最後の聞き捨てならない台詞に、シリスの手がピタリと動きを止めた。眉間に皺が寄り、唸るような低い声が彼の口から零れる。 「……蒼夜。俺はそんなもの微塵もしたつもりはないんだが――」 そこでようやくスーリャがシリスの顔を見た。 彼はその瞳に信頼を映し、穏やかな笑みをその顔に浮かべていた。 あの噂を聞いた時。亜麻色の髪を持つ女性と話している様子を見た時。まったくシリスを疑わなかった、とは言えない。 「わかってるよ。今の段階の話じゃない。たださ、俺があんたに他の女の人と子供を作って欲しくないんだ。たとえ必要に迫られたとしても。それが義務で、王の役目だとしても」 スーリャはシリスを信じている。自分が好きになった相手がそんなことをする人ではないと、そう感じる自分を信じている。 そして、それと同じくらい、彼が王であることを知っている。 だから――。 「これは、俺の我が侭。それなら俺が産みたい。俺が欲しいって思うんだ。不安がないわけじゃないけど、俺は独りじゃないから、シリスがいるから大丈夫。それに―― あの母さんが母親やってたんだから俺に出来ないはずがない」 シリスは困惑した。 なぜだろう。何か彼が更に強くなっている気がする。 スーリャが自分に対して独占欲を持っている。 思っていたよりもそれが深かったことがわかって嬉しいはずなのに、素直に喜べない複雑な男心を持て余す彼だった。 |
************************************************************* 2011/12/27
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