地の先導者 <29>



「それにしてもあんたますます女顔に磨きが掛ってるわね。格好のせいか、その髪のせいか、遠目で見れば女の子ね。ま、似合ってるから別に構わないけど」
スーリャの姿を上から下まで改めて眺め、母は満足げにフムフムと頷いた。
「それに綺麗になったわ。私の知らない何処か遠くで、恋をしたのね。だから、帰って来なかったのかしら、ね」
少しさびしげな笑みを浮かべた母の姿は、スーリャの心に潜む後ろめたさを刺激した。

「ごめんなさい」

俯き、小さく謝ったスーリャの頭を、母が慈しむように撫でる。
「何を謝ることがあるの。あんたは選んだだけでしょう。何も捨ててはいないわ。―― でも、変な所で私に似てたのねぇ」
物問いたげに首を傾げたスーリャに、彼女は苦笑する。
「実はね、私があの人と結婚する時にもひと悶着あったのよ。結果的に私はあの人を選んだ。その時に家族・親類とは縁を切った。今のあんたの選択と同じだと思うわ」
どういう経緯があったか語るつもりはないのだろう。母は苦笑するだけで、それ以上は言わなかった。

事情について彼女が言う気がないなら、スーリャも聞く気はない。それはもう今更な過去でしかない。
ただ――。
「後悔は……?」
母は今、そのことをどう思っているのだろう。
躊躇いを含んだ小さな問い掛けに、母は悪戯っ子のように笑った。
「……すると思う? 私は選んだだけよ。確かに失ったモノはあったけど、でもね。得たモノも沢山あったの。後悔するってことはそれすら否定するってことよ。私はあんた達に出会えて幸せなのに、それを否定するわけ無いじゃない。蒼夜も幸せでしょう?」

少しだけ陰ったスーリャの表情に、母の表情が曇る。
「……幸せだよ。幸せだから怖い。いつまでそう居られるか怖い。自分が変わっていくのが怖い」
初めはポンポンと宥めるようにスーリャの頭を撫でていた彼女だったが、徐々に口はへの字に、眉間には皺が寄っていった。
「こわい、こわい、こわい。マイナス思考一直線ね。そんなあるかわからない失うことを考える前にやることがあるでしょう。そんなものに恐怖を抱く前に、足掻かないでどうするの。今の幸せを維持する努力をする前に何を嘆くモノがあるの。変わらない日常なんて無いように、変わらない人間なんていないのよ!」
彼の両肩を掴み、顔を突き合わせ、矢継ぎ早に叱責する。
頭ごなしに叱りつけられ、頭に血が上ったスーリャはずっとずっと心の奥底で渦巻いていた思いを、気づいた時には吐き出していた。

「じゃあ、男の俺が女になるのが怖いって思うのは、おかしいことなのかよ!」

……………。

予想外の言葉だったのか、母は瞬きを繰り返し、スーリャの顔を覗き込もうする。対するスーリャは俯き、意地でもその顔を彼女に見せようとはしなかった。
母は仕方なげなため息をつく。
「あんたが今、どういう状況にいるのか判別つかないんだけど……もしかして私が気付かなかっただけで半陰陽だったのかしら? 大変じゃない。女の子らしいことに興味なさそうだったから、その手のことはまったく教えてないのよ。あんた、大丈夫? 相手の方に迷惑掛けまくってるんじゃない?」

半陰陽? 女の子らしい教育? 相手方に迷惑?
って、あっさり衝撃的な部分はスルーされた気がするんだけど……?

気分的に頭が痛くなってきて、こっそり少しだけ顔を上げて、母の顔を見る。
「母さん、俺が女になってもいいわけ? なんかその言い方だと俺の相手がまるで男みたいなんだけど……」
事実その通りだけれど、そんなことは一言も触れていないはずだ。それに嫌にあっさりと受け入れているらしい母の態度が逆に怖い。
まったく取り乱す様子もないし、なんか目がさっきよりも活き活きと輝いて見えるし――。
「あんた、外見はそのままでも十分女の子に見えるのよ。今更女の子になりましたって言われたって驚かないわよ。それよりも、違うの? あんたのさっきの発言からそうだと思ったんだけど、本当に違うの?」

それよりも、って……。深刻な悩みのはずなのに……。
相手が男って方が重要なのか……。

母の問題発言に打ちひしがれるスーリャには、彼女の求める答えを返す気力などまったく残っていない。
「あんたならO.K.よ。十分観賞に堪え得るのに……違ったの。う〜ん、残念」
その間に勝手に結論を出した彼女は、心底、残念そうに唇を尖らせている。

なんでそこで残念がる?

スーリャの疑問を感じ取ったらしき母が、少し考えてから遠い目をした。
「あんたは知らなかったか、私の愛読書の内容」
どういう仕組かポンッと音を立てて母の手に文庫本が現れた。布カバーが掛けられ表紙の見えないそれを差し出され、スーリャは無言で手に取りページをめくる。パラリパラリと文字を読み飛ばし、挿絵を見て固まることしばし。
彼は閉じた本を母に返し、
「父さんは知ってるのか?」
固い声で訊いた。
「あはは、私はあんたが知らなかったことの方が驚きだよ。実樹も知ってるよ」
あれだけ大っぴらに読んでたし、そこらにも堂々と置いていたのにねぇ。

深いため息をつき、スーリャはあんまりな発見に脱力した。そのまま居間の床の上に座り込む。
弟の名前を出され、ああ、と思った。
テーブルの上に置きっぱなしになっていた母の本を、なぜか嫌そうに摘まんで端に寄せていた彼の奇行はこういうことだったのか、と。
道理で本好きな弟の行動としては変なわけだ。その手の興味や嗜好がなければ、男としてはちょっと遠慮したいジャンルの本、かもしれない。

「ねぇ、蒼夜。こういう考え方もあるのよ。大切な人と二人、幸せは二倍、悲しみは半分。大切な人との間にひとり子が出来れば三人、幸せは三倍、悲しみは三分の一。家族の分だけ幸せは増えて、悲しみは減るの。家族の形は色々あるし、こんな風にはいかないことの方が多いと思う。綺麗事を並べただけかもしれない。でも、家族が、大切なモノが増えるって、それを一緒に喜んでくれる人がいるって幸せなことだと私は思う」
スーリャに目線を合わせるように母はしゃがみ、言葉を続ける。その顔に慈しみの笑みを浮かべ、穏やかな声はゆっくりと彼の心を包み込む。
「夫婦だって元をたどれば他人なの。だけど、家族になれる。血の繋がりなんて無くても家族にはなれる。お互いを想い合う気持ちさえあれば、ね。所詮、血は血でしかない。流れれば誰の血も同じかもしれない。血の繋がりだけに胡坐をかいていれば、家族とは呼べないものになるかもしれない。でもね、出来るなら私はあんたに血の繋がった家族を作って欲しい。遠い場所で独りになる決意をしたあんたに、確かな証拠として、独りで無い証として血族を残して欲しい。―― もう。単なる私の我が侭だから、戯言だと思って聞き流しなさいよ。泣き虫」
ポロポロと泣き出したスーリャの涙をエプロンの裾で拭い、自分も泣きそうな顔をしながら彼女はそれでも笑った。

「もう会えないんでしょう?」
懐かしい我が家の居間が消えた。そう告げる母の姿も霞んでいる。
「最後まで世話の焼ける息子でごめん。ありがとう。皆が忘れたとしても、俺が覚えてる。俺が母さんと父さんの子供だって二度と忘れない」
消えた母の姿の向こうから、微かに声が聞こえた気がした。

「蒼夜、幸せになりなさい。今よりももっと、ずっと――」





*************************************************************
2011/12/23



back / novel / next


Copyright (C) 2011-2012 SAKAKI All Rights Reserved.