地の先導者 <28> |
訳のわからないまま飛ばされたスーリャは、混乱する意識を抱えたまま、これまた混乱する状況に追い込まれていた。 なぜか日本の我が家の居間に立っていた。 纏った衣は女官服ではなく、最近のスーリャの普段着に、髪は後ろで纏められ飾り紐で結われている。 スーリャの視線の先には驚いた顔をした母の姿があった。 彼の記憶と変わらない姿。髪を後ろで纏めてエプロンをした、いつもと変わらない姿で彼女はそこに立っていた。 「蒼夜、なの?」 か細い震える声で呼びかけられて、スーリャは恐る恐る口を開く。 「母さん、覚えて……」 最後まで言葉にならずにスーリャは口を噤んだ。 スーリャはシリスと共に歩む道を選んでから、ずっと家族に後ろめたさのようなものを感じていた。 自分は家族を捨てたのだ、と。たとえ彼らが自分のことを忘れてしまったのだとしても、その事実に変わりはないのだ、と。 二度と会えないと思っていた。自分のことを忘れてしまったと思っていた。 なのに、目の前には母がいる。彼女は忘れたはずの息子の名前を呼んだ。 なぜ? これは都合の良い夢? 「……ああ、そうね。今の今まであなたのことがすっぽりと抜け落ちていた気がするわ。でも、ずっと何かが欠けているような気はしていたの」 近寄ってきた母がスーリャをそっと抱き寄せ、抱き締めた。スーリャは彼女の為すがまま、大人しくその腕の中に納まっていた。 もともと二人の身長はほぼ同じぐらいだった。けれど、今はスーリャの方が少しだけ彼女よりも高い。こんな部分にも歳月は流れていたのだ。 「これは夢なのかしら。いえ、たぶん夢ね。でも、あなたに会えてうれしい」 母の戸惑った声。だが、それには確かに喜びが含まれている。 「少し背が伸びたのね。目線が違うわ。顔色も良いし、しっかり元気そう。不思議な服を着ているけど、その様子だとそこで大事にされているのね。よかった」 忙しなくスーリャの身体を検分する母の様子を、ぼんやりと彼は見つめていた。 そっと確かめるように頬に触れた手。触れた瞬間はほんの少し冷たかった手が触れた部分から少しづつ、ほんのりと温かくなっていく感触。 確かに母がここに存在していると感じられる。 でも、それとは別にこれは夢だと訴える自分もいる。 「母さん。俺は母さんの子だよね」 ふと口から言葉が零れ落ちていた。 スーリャの小さな呟きに、母は彼の顔を見ると呆れたような顔をした。 「なぁ〜に馬鹿なこと言ってるの。当たり前でしょ。確かにお腹を痛めてあんたを産んだのは私じゃないわ。でもね、四苦八苦しながらここまで育て上げたのは私よ。私だけでなく、あの人もだから私達かしら。とにかくあんたは私達の子なの。今更、嫌だって言われたって困るわ」 ムニッと両頬を軽く引っ張られて、子供のようにメッと叱られる。 「あの日の会話をどこから聞いていたか知らないけど、血の繋がりだってまったく無いわけじゃないのよ。だって、あんたはもともと兄さんの子供なんだから」 ……………はぁ? 予想外の回答に、スーリャの思考が止まった。 これは夢、じゃない? その認識にスーリャの頭が回り出す。 この状況は、あの忘れ去られた元神さまが作ったものだろう。 彼はなんて言った。確か「適任者の所に飛ばす」と言ったはずだ。 適任者。それが母なのか? じゃあ、この母は自分の頭が作り出した夢の産物ではないはずだ。だって、こんな回答、想定外……。 呆気にとられるスーリャの姿に、彼女は困ったとでも言いたげな笑みを見せ、彼の頭を撫でる。 「その様子だとそこは聞いていなかったみたいね。どうせ盗み聞きするなら、洗いざらい聞いてから飛び出しなさいよ。どっか抜けてるのよね、あんたって。性格があの人、そっくり。ま、あの人の場合そこが良いんだけど」 そういう問題か? 否、違うよな。 というか―― そこで惚気るな、この万年新婚夫婦! 片手を頬に添え、うふふと笑う母の姿に、スーリャは正気に返った。 突っ込みどころも、疑問符も飛び交う中、とりあえず最大の爆弾から消化することにしてスーリャは口を開く。 「兄さんって誰? 父さんも母さんも兄弟なんていなかったよね?」 親類が居たなど、聞いたこともないし会ったことも無い。 「あの人はいないわよ。天涯孤独だもの。でも、私にはいたの。だから、本来、私はあんたの叔母さんよ。う〜ん、微妙な響きだわ。いっきに歳をくった気がする。兄さんはね、あんたが産まれてから一年もしない内に亡くなったの。元々、丈夫な人じゃなかったし、お義姉さんを産褥で亡くした心労も大きかったんだと思うわ。兄さんよりも長生きしそうな、元気な人だったから。二人とも物心が付く前に亡くなっているから、あんたの記憶にはないでしょう?」 どうやら産みの親は両方とも亡くなっているらしいことがあっさり判明。 あまりのあっさり加減に、スーリャはショックを通り越して呆然とした。 「あともう一つ。この際だから全部告白しておくけど、あんたのその瞳の色、単なる隔世遺伝だから。あんたはれっきとした日本人よ」 「隔世遺伝?」 繰り返された単語に、母は頷く。 「写真が無いから見せられないけどね、私の母親、あんたの祖母さんはあんたとよく似た蒼い瞳をしていたの。クオーターだって言っていた気がするから、その前の前辺りで蒼い瞳をした人が居たんでしょうよ」 カラカラ笑って、バシバシとスーリャの肩を叩く母に、恨めしげな視線を向けたとしても、彼に非はないはずだ。 こんな答えならもっと早く訊いておけばよかった。事実を聞いた今だからこそ、そう思える。 瞳の色については、小さい頃から疑問だった。ただ、返ってくる答えが怖くて訊けなかった。この家の子じゃないと言われるのが怖かった。 この様子からも、黙っていた母に悪気がまったくなかったことはわかる。 彼女はまったく気にしていないのだ。自分の息子の瞳が蒼かろうが、自分で産んだ子でなかろうが。それは彼女にとって些細なことで、スーリャが彼女の子であることの方が重要なのだ。 今、ここでなんで教えてくれなかったんだと非難しても、彼女のことだ。あんたが訊かなかったからじゃない、と言うに決まっている。 スーリャは目の前の母が本物だとやっと確信できた。 自分が悩みに悩んでいたことをザックリバッサリ笑って切ってしまえる存在など、この大雑把で無敵な母しかいないのだ。 |
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