地の先導者 <26>



外側からその様子を見ることが出来たならば、シリスが首筋に構えた短剣を離し、それを放り投げたように見えただろう。その動作に違和感はまったくない。
先程までの様子とは打って変わってすんなりとその場に立ち上がった彼は、己で傷付けた血濡れの腕を呆れ顔で見る。そして、その腕を振り払う動作をし、小さく呟いた。

「――請願す」

先程言い掛けて、音にならなかった最後の言葉。
周囲の渦は消え、辺りは何事も無かったかのように静寂を取り戻す。

「見てるだろ、メイシア、ルーシェ。このド阿呆の伴侶を表に戻してやってくれ」
呼び掛ける声に答えるように、彼の前に歪みが発生する。
『元々返す予定だったからそれは良いけど……。君も他人のこと言えないと思うなぁ、シンリア』
道を繋げてくれたことには感謝するけどね。

歪みから聞こえてくる声に、シリスの身体を乗っ取ったシンリアが頭をかく。
ルー・ディナは声だけを届け、その姿を現すことはない。
「俺だってやりたくてやったわけじゃないさ。この阿呆がこんなド阿呆なことをしでかさなければ、出てくる予定なんて金輪際なかった筈だったのに……。俺が出てくるしか、こいつを生かす方法がなかったんだから仕方ないだろ。みすみす死なすわけにもいかない。封印が壊れたのは、こいつのせいじゃない。俺らの見込みの甘さだ。だが……お陰で俺の今までの苦労が全部水の泡だ」
悲哀を漂わせ、項垂れたシンリアに、ルー・ディナが苦笑まじりに答える。
『いやぁ、まあ、ねぇ。どれもこれも的を射た発言ではあるけど、何もそこまで貶さなくても……。やり方は不味くても、間違ってはいなかったよ。お陰でこうしてこの子をすぐに返せる』

宙に浮いた状態で歪みからスーリャが現れ、差し出されたシンリアの腕の中へと収まった。シンリアは彼を軽々と抱いたまま観察する。
意識無く閉じられたままの瞳。くたりとした力無い姿。
見た感じ、外傷はなさそうだが?
シンリアは物問いたげに歪みに視線を向ける。
『大丈夫。眠っているだけだよ』
笑みを含んだ声に、彼は「そうか」と短く答える。
『今生の "彼女" も良い子だよ。可愛い僕らの愛し子』

その言葉にシンリアが顔を顰めた。
「おまえなぁ、過保護にしすぎるからこうなるんだろうが」
苦言を呈するも、
『え、なんで? その言い方だとまるで僕が悪いみたいじゃない。というか、過保護なのは僕だけじゃなくメイもだと思うんだけどなぁ』
のれんに腕押し。
ルー・ディナのさも心外だとでも言いたげな声の響きに同調するように、風も無いのに湖を囲う木々がザワザワと枝を揺らす。
その様にシンリアはため息をついた。
「なんでここにきて俺が説教しないといけないんだよ。俺の性分じゃないのに、どういつもこいつも好き勝手しやがって。俺は―――」
肩を落とし、俯き加減でブツブツと呟く。
そんな中でも腕の中にはスーリャを大事そうに抱えていた。

いつまでも止まない愚痴に、用無しと考えたルー・ディナが一声かける。
『僕はもう行くけど。二人のこと、よろしくね』
小さくなっていく歪みに、シンリアはハッと顔を上げた。
「まだ話しは終わってない。これ以上の干渉は過干渉だ。わかってるだろ?」
拳ほどで止まった歪みから、先程よりも小さな声が聞こえてくる。

『わかってるよ。僕もメイも、わかってる。僕らはここまでだ。だから、君に頼むんだよ。だって、カイナがそれを望んでる』

歪みは完全に消えた。叫んだとしても、もう声は届かないだろう。
凪いだ水面と腕の中のスーリャを交互に見て、シンリアは深々とため息をつく。

「なんだよ、それ。俺は死人で、ただゆっくり眠っていたいだけだっていうのに……。どいつもこいつも面倒事だけ押し付けるな」

不貞腐れて呟くが、当然、誰からも答えは返らない。
いっそのこと、このままシリスに後を任せ、何もかも放り出して眠ろうか。
そんな思考が頭の隅を過ぎる。だが、それを実行すれば収拾がつかなくなるのもまた確実で――。
自分には関係の無いと割り切り、切り捨てることが出来たならどんなに楽か。
この後の作業量を考えて、シンリアはがっくりと深く長いため息をつくのだった。





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2011/12/19



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