地の先導者 <23> |
珍しく血相を変え、慌てた様子でラシャが独り戻って来たことに、ナイーシャはとりあえず人払いをした。 彼女がこんな風に取り乱すことは滅多にない。何かがあったことは確かで、側にスーリャがいない以上、彼がらみだということは十分に予測がつく。 迅速に人払いされた室内にラシャは謝意を述べ、本題に入った。 「スーリャさまが私の目の前で白い何かに飲み込まれ消えてしまわれました。私の力が足りないばかりに……申し訳ありません」 深々と頭を下げたラシャに、 「あなたが見たそれは――」 言葉を探して、ナイーシャは視線をさ迷わせる。 「あなたに咎はないわ。歪みは力を持たない人間には対処できない。もし私の前で同じことが起きたとしても、即座に対応出来たかはわからないわ。それに―― 知らせがない。私は手を出すなってことなのね。この采配は神の領分。人でしかない私達にはどうにも出来ないわ。祈ること以外何も」 近づいてきた足音。 徐々に大きくなる人が言い争う声。 「ナイーシャさん!! 蒼夜はどこだ」 女官達の制止を振り切り、入室の許可もなく荒々しく開いた扉に、ナイーシャは重々しくため息をつく。 「……シリス。あなたはまだ執務中のはずでしょう」 何事もなかったようにナイーシャはシリスの行動を咎め、無情にも仕事に戻るように告げる。 「それ処じゃない。蒼夜はどこだ! ナイーシャさんなら知ってるだろう!」 ナイーシャの言葉を無視して彼女の前までツカツカとやって来たかと思うと、シリスは周囲のことなど構わずに怒鳴った。 ヴィスと別れて執務室に戻ったシリスは、然程の間も置かずにそこを飛び出すこととなった。 なぜかはっきりとわかる異質な気配の出現と消失。そして、それと共に常に感じていたスーリャの気配も消えた。何かあったとしか考えられなかった。 必然の如く、シリスはラシャと同じ結論を出した。ナイーシャなら何か知っているに違いない、と。 シリスはナイーシャの前で仁王立ちして返答を待っている。 ナイーシャは目配せだけで人払いをし、部屋を術で完全に外界から隔離する。 その場に残ったのは、ナイーシャ、ラシャ、シリスの三名のみ。 「シリス。王者足るもの、何時如何なる時でもそんな風に取り乱すべきではないでしょ。何かあったの?」 小言を言い、あくまで白を切り通そうとするナイーシャに、シリスは焦れた。 自分が感じたものが間違いでなければ、彼女が知らないはずはない。 「スーリャの気配が消えた。異質な……歪みの気配と共に、だ。まさかとは思うが――」 想像された不吉な事態が事実であることを恐れ、シリスは言葉を濁し、沈痛な面持ちになる。 スーリャが消えた。 その事実をシリスは感じ取ってしまったらしい。 ナイーシャはため息をついた。 「力を使ったのね?」 「……力は使ってない。ただ力が強くなっている影響か、何もしなくても漠然とはわかる。それもあんな異質な気配――俺にわからないわけがない」 シリスは憮然とした面持ちで答えた。 「あぁ。そんな所にも影響が……」 ナイーシャは呻くように呟き、頭が痛いとでも言いたげに額を押さえ目を瞑った。 そんな人間離れした芸当は、シリスだから出来るのだ。わかって当然のように言わないで欲しい。 「それで? いい加減誤魔化すのは止めて答えてくれ。 蒼夜は何処だ?」 ここまできて誤魔化すことは無意味だと、ナイーシャは悟った。それならばしっかりと話すべきだ。 「あなたが感じ取ったままよ。スーリャは歪みの先に消えた」 「では――」 言葉を失い、蒼白になっていくシリスの顔を見て、ナイーシャは重々しく頷く。 「今回、私には知らせがなかった。その場合、干渉できないの。戻ってくるかはあの子次第。私に出来ることは、あの子が無事に戻ってくるのを祈ることだけよ」 例えその先で何が起ころうと、そこはもう人の領分ではない。神の領分である。 「愛し子であるスーリャを、ルー・ディナがこれほど早く連れて行くはずがないわ。スーリャは必ず戻ってくる」 項垂れたシリスを、ナイーシャがなんとも言えない表情で見つめる。 お互いに胸の内にあるのは、無力感だけだ。 「……俺はいつだって蒼夜の助けにはならない。前の時だって何の役にも立たなかった。俺に出来るのはただ待つことだけ、か」 こんな愚かで滑稽なことはない。 「……強大な力なんて持っていても何の役にも立たない」 幾ら権力を持とうと。幾ら力を持とうと。大切な者一人守れないならば無意味だ。 この世の不幸を一身に背負ったような悲愴感たっぷりのシリスに、ナイーシャはため息をついた。 「落ち込むのはあなたの勝手だけどね。まだ失ったと決まったわけでもない。スーリャをカイナに留める要はあなたでしょうが。しっかりしなさい」 嘆くことも、諦めることも、まだ早い。 そんなものは何もかも打つ手が無くなった時にやればいいことだ。 「世界に喧嘩を売ってでも、スーリャを勝ち取るぐらいのことやって退けなさい」 ピシャリと横っ面を張り倒されたように、シリスは意表を突かれて呆けた。 そんな無茶な……! ここにリマが居ればナイーシャの暴論を諌めもしただろうが、生憎彼は主不在の執務室でシリスの仕事を肩代わりしている。 彼女を止めるには、シリスもラシャも役不足だ。 「私は祈りに入るけど……シリス、あなたはどうするの?」 守護師には守護師の役目があるように、王には王の役目がある。 今、行わないで何時行うというのか。手段を選ぶ必要などない。 「俺は俺のやり方で蒼夜を取り戻す」 先程までの取り乱しようが嘘のように、颯爽たる姿でシリスは踵を返す。その背からは某かの覚悟が感じられた。 その後ろ姿が見えなくなるまで、ナイーシャは見つめていた。その顔には仕方ないとでも言いだけな苦笑が浮かんでいる。 「ラシャ、支度を手伝ってくれるかしら?」 沈黙し、二人の口論の行方を見守っていたラシャは、当然の如く、是と返したのだった。 |
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