地の先導者 <22>



ナイーシャの所から辞したスーリャとラシャは、そのままどこにも寄らず館に帰る予定だった。だが、唐突にスーリャが月沙湖に行きたいと言い出した。
高確率で某か起こる、彼にとってはいわく付きの湖。
なぜそんなことを言い出したのか。
理由はスーリャ自身にもよくわかっていなかった。ただその時はどうしてもそこに行きたいと思ったのだ。
彼の様子に少し違和感を抱いていたラシャは渋ったが、結局、その意思を変えることは出来ずに折れた。
もしこの時に月沙湖で何が起きるか知っていたなら、彼女は実力行使に出ようとも彼を止めたというのに―― 気づいた時には、すべてが遅すぎた。

スーリャは月沙湖で消えた。

突然、湖上に現れた白いモノに飲み込まれ、彼の姿はソレもろとも一瞬で消え失せた。伸ばしたラシャの手は、彼に届くことなく空をつかむ。
彼女は混乱する頭で、それでも考える。
何が彼を飲み込んだのか。どうすれば彼を見つけることが出来るのか。
導き出した結論に、ラシャは踵を返した。向かう先は訪ねたばかりのナイーシャの所だ。
スーリャがどうして消えたのか、彼女ならわかるに違いない。
この不可思議な現象を解き明かし、取るべき最善の方法を知っているにはずだと自分に言い聞かせ、ラシャは己の不甲斐なさを噛み締めながら、ひたすら来た道を駆け戻るのだった。



気づいたらスーリャは白い空間に閉じ込められていた。
ただ白いだけの何もない空間。居るのは自分だけ。
ここがどこなのか、上も下も前も後ろも真っ白でスーリャはその場に頭を抱えてうずくまる。
見覚えがあるような無いようなそこは、彼を恐怖へと突き落とした。
ルー・ディナの居たあの空間とはあからさまに違う。この空間が持つ余所余所しい雰囲気が、彼を排除しようと迫ってきているような錯覚に陥る。
静寂はスーリャの恐怖を煽り、彼はすべてを拒絶した。

「……嫌――」

固く瞳を閉じれば、当然の如く視界は暗くなる。だが、それだけだ。何も事態は変化しない。
スーリャは未知なる恐怖に、いっそうその身を縮こませることしか出来ない。

こんな場所に居たくない。ここから逃げ出したいのに……。

「助けて――」

小さな呟きを残し、スーリャの意識はぷっつりと途切れた。
何者かの意思が介在したかのように――唐突に彼の意識は夢も見ない奈落の底へと落ち、その身体は白い空間に飲み込まれていったのだった。



ルー・ディナは心底困っていた。
本当は手を出さないつもりだった。というか、出してはいけなかったのだ。
けれど、結局は見ていられなくて横槍を入れてしまった。
「どうしてこう意地っ張りなのかなぁ」
長椅子に横たわるスーリャの顔を、ルー・ディナは上から覗き込む。
その寝顔は穏やかとはとても言えない。眉間に皺を寄せ、口をへの字にしたスーリャの顔に、知らず知らずルー・ディナがため息をつく。
その頬をつつけば、彼の眉間の皺は更に深くなった。
「あの場で求める名前は、彼の名前だと思うんだけど……」

スーリャは言わない。弱い自分をさらすことが彼にはできない。
そうして彼が今まで生きてきたのだとしても、これからはそれでは駄目なのだ。
スーリャはシリスを選んだ。世界を越えて、唯一を選んだ。ならば、その先は二人で補い、分かち合うべきなのだ。
カイナはスーリャの存在を組み込み、新たな未来へと動き始めている。
可変に時を刻んでいるのに、スーリャはそれを受け入れられないでいた。だからこそ、生じた矛盾だ。
拒絶されたソレが歪みとなり、結果、本体である彼を引き込んだ。

これは彼が、彼らが正すべきものなのだ。
守護師ならばこれを取り除くことが出来る。けれど、それではスーリャが先を見失ってしまう。行き場を無くしてしまう。
だから、カイナはそれをしなかった。守護師を呼ばなかった。
カイナに属する者として、見守る者として、ルー・ディナは傍観者であるべきなのだ。過干渉すれば、それが新たな歪みを生んでしまう。
わかっていた。けれど、愛し子が苦しむ所はやはり見たくない。
神とて情はあるのだ。

カイナの裏に居たスーリャを眠らせ、自分の空間へと強制的に引き込んだ。
これが許されるギリギリの線。

「忘れてはいけないよ。君はヒトリじゃない。君は選んだはずだ。僕達に誓ったはずだ」
スーリャの頭を撫で、ルー・ディナは言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「君は愛されている。何時如何なる時も。その思いを見失ってはいけないよ。時に迷うことがあったとしても」
唐突に目を開けたスーリャとルー・ディナの視線がぶつかる。
「君は愛し子。愛される者。そして、愛す者。他の誰でもない、君が彼を望んだ。意地の張り所を間違ってはいけない」
スーリャはルー・ディナのされるがまま頭を撫でられていた。

「……怖いんだ」

しばらく沈黙した後、くしゃりと顔を歪めたスーリャが絞り出すように小さな声で呟いた。
「スーリャでも、蒼夜でも俺に変わりはない。何が変わろうと、女に変わろうと、俺が俺であることに変わりはない、はず。理屈ではわかってる。だけど、変わることが怖いんだ」
沸き上がる感情が怖い。

自分は女々しい。
どれだけ綺麗事を並べようと、本心は嫉妬でおかしくなりそうなのだ。

スーリャは自分の身を守るように己を抱き締めて丸くなる。
ルー・ディナが彼に悟られないように小さく小さく息を吐き出した。
「本来、その言葉を受け止めるべき相手は僕じゃないよ」
わかってるよね? 君が求めている答えは、彼しか持っていない。
諭すような響きを持つ言葉に、スーリャは小さく頷いた。
「僕が何を言っても君には気休めにしかならないだろうけどね。すべては可変なんだよ。望む望まないに関わらず、現し世は変わりゆくモノ。それは必ずしも目に見えるモノだけではないよ。君が今、抱く恐怖を否定する必要はないんだ。だけど、それだけに囚われてはいけないよ。僕は君を知っている。君が蒼夜と、スーリャと名付けられるずっと前から。その魂を知っている」
ルー・ディナの撫でる手に誘われ、閉ざされたスーリャの瞳が開くことはない。
「だから、言える。君は君でしかない。幾度も姿を変え、どのように生きようと、君の魂は輝きを失わない。不思議なことに、不変の如く、ただ一途に彼を求め続ける。彼を選び続ける。―― 君が僕らの愛し子であることに、変わりはないんだよ」
彼は再び眠りへと落ちていた。不安を抱えた眠りへと。

スーリャの周りをキラキラと、どこからともなく現れた光が纏わりつく。それによって少しだけ彼の浮かべた表情が和らいだ。
「……もう気づいたんだ。僕も早く戻してあげたい気持ちはあるんだけど。困ったことに、まだ僕の領分じゃないから出来ないんだよね」
この光は、守護師の祈りが具現化したものだ。
本来なら歪みに引き込まれた彼を助け、現し世へと導く役目を果たす。だが、ここはルー・ディナの空間。その作用は半減し、スーリャを引き戻すほどの効力はない。
平時のルー・ディナは現し世への干渉が限られている。日が沈み月の出る時間にわずかだけ。 夜になれば祈りの助けも借りて、彼を戻すことも出来るだろう。
だが、今はまだ昼間だ。しばらく待ってもらうしかない。
この時間がスーリャにとって、しばしの休息になれば良いと願うだけだ。

この後、ルー・ディナの考えは予想外の事態で覆されることとなる。





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2011/12/13



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