地の先導者 <21>



シリスは珍しく一般開放区を普通に歩いていた。
髪は薄茶色に染め、地味な紐で纏め上げている。瞳の色は誤魔化しようがなかったが、少し猫背気味に、やや俯いて目を伏せ気味にすることで直接他人と視線が会うことを避けた。
ここまでくれば、国王の顔を間近で見知っている者など然程いない。居たとしても、その時にはこちらが注意し、見つかったとしても騒がれないようすれば良いだけのことである。
王宮の敷地内とはいえ、まさかこんな場所を国王が一人で護衛も付けずに歩いているなど思いもしないのだろう。
誰もシリスのことを気にしない。
今の彼は王宮に仕える官吏の一人でしかない。目立たない地味な衣を纏い、その衣を役職を示す帯で留めている、どこにでもいる官吏。役職は「仮の」という前置きがつくが……。

だが、ここに来るまで誰にも気づかれなかった、なんて奇跡的は起きていない。
当然ながらリマにはすぐにバレ、説教と釘を刺された後に少しだけならと辛くも許可が下りた。その後も何人か勘の良い者には気づかれたが、騒がれる前に口を塞ぎ、沈黙を押し切った。
力を使わずに変装と幾分かの演技で、ここまで来れたのだから上々の出来というものだろう。だが、ここにも一人。彼の正体を見破った者がいた。
近道をしようと広場を横切った時に、うっかり目が合った。他人の空似で済まし、そのまま苦笑してそそくさとその場を去りたかったが、相手はそれに誤魔化されてはくれなかった。

服装とその髪色を見て不思議そうに首を傾げたサヴィスは、シリスの側まで移動し彼の前で立ち止まった。そして、窺うように彼を見つめる。場所が場所だけに、礼をするべきか迷っているらしい。
シリスは礼が不要なことを身振りで示し、
「普段の姿では出歩くには何かと不便なので」
内密に、と人差し指を立て己の口に当てた。
その様に、サヴィスが苦笑して頷く。
彼女もまたフィシアの衣装は身に着けておらず、ジーン王国の一般女性の普段着を纏い、髪は後ろで簡単に纏められているだけだ。
学院に行く途中だったのか、それとも図書館に行く予定だったのか。その腕にはノートと筆記具を抱えている。

「なぜこのような場所に?」
それは当然の疑問だろう。
王宮内とはいえ、一般開放区に変装した国王が一人で出歩いているなど、あまり褒められた行為でないことは百も承知だ。
「……ここが近道だったので」
肩を竦めおどけて見せたシリスに、サヴィスが小さく笑う。
「わざわざ髪を染めて、変装して、お一人で、こんな所まで?」
指折り不審な点を上げていく彼女に、シリスは沈黙する。その様子に気分を害するでもなく、サヴィスはその顔に意味あり気な笑みを浮かべ、
「恋しい方にでも会いに行かれるのかしら?」
それは楽しげに問い掛けたのだった。
まさかそんなことを訊かれるとは思っていなかったシリスが目を見開く。

「せっかくの機会です。少しお互いに腹を割って、お話を致しませんか?」



少しだけ迷った後に、シリスはその誘いを結局受けた。
二人は場所を少しだけ移動する。シリスは途中の売店で二人分の果実水を買い、一つをサヴィスに渡した。 そして、広間に設置された椅子にテーブルを挟んで向かい合わせに座る。
その位置は通路から少し外れ、他のテーブルとも距離があって話声の届かない、けれど、十分人目に付く場所だった。
下手に二人きりになって、お互いの立場が露見した時に余計な勘ぐりを被ったのでは堪らない。
それを理解しているらしいサヴィスは苦笑するだけで、否やはなかった。遠目には、知り合いの男女が小休止に会話をしているようにしか見えないだろう。

「あなたはどこまで承知で、こちらに留学をなさいましたか?」
用心を重ね、シリスはサヴィスにだけ聞こえるように小さな声で問い掛けた。
「どこまで、とは?」
サヴィスは笑みを浮べ、はぐらかすように訊ね返す。その声はシリス同様、彼以外に聞こえないように小さく抑えられていた。
シリスは息を吐き出し、問い方を変えた。
「こちらの考えとしては、この留学は見合いを兼ねていると邪推している。私はあなた自身の真意を聞きたい」
真剣な表情で、シリスはサヴィスの挙動を観察する。嘘を見抜くように見つめられ、サヴィスはわざとらしく息を吐き出した。
「直球ですのね。では、こちらも正直にお話しましょう。わたくしが持ち出したお話ですものね」

果実水で喉を潤し、サヴィスは顔の笑みを消した。
「あなたさまの仰る通り、ですわ。正式なものではございませんし、判断はわたくしに任されております。わたくし自身はフィシアに骨を埋める覚悟でおりますのに、お父さまはわたくしに好きにして良いと。好いた方が出来たなら嫁いで良いと申されました。……これは我が家の総意ですが、あなたさまのお聞きしたいことはそういう話ではございませんでしょう?」
シリスは素直に頷き、その反応にサヴィスは失笑した。
「わたくし、伴侶はわたくしだけを愛してくれる方がいいの。だから、あなたさまが心配なさるような返答は絶対にいたしませんわ。もっとはっきり申しましょうか。わたくしはこの話を初めから断るつもりでおりました。こちらでは勉学に勤しみ、期間が終わりましたなら国に帰りますわ。わたくしにとってお見合いは二の次。初めにお会いした時に申しました言葉に偽りはございません」
コロコロとおかしそうに笑うサヴィスに、シリスはどっと疲れを感じてため息をつく。

「――あなたは食わせ者だ」

蓋を開けてみれば、随分とあけすけにものを言う姫だった。

「あなたさまほどではございませんわ。あんな良い子を捕まえて――あなたさまが相手でなければ、わたくしが伴侶にさらって行きたいほどですもの」

話が初めに戻り、シリスの内心は焦りと困惑が渦巻いていた。
「……なんのことでしょう?」
表面上は見事にそらっとぼけてみせたシリスに、サヴィスが咎めるような視線を向けた。
「わたくし知ってますのよ、あなたさまの本命。出会ったのは偶然でしたけど、本当に良くしてくれて――お友達になりましたわ。いくら優秀な手の者を着けていたとしても、虫が付かないか心配でしょう」
遠回しに誰かを暗示する言葉を囁いたサヴィスに、シリスは訝しげな顔を作って彼女の反応を窺う。
「どなたのことをおっしゃっているのか、皆目見当もつかないのですが……」
あくまで白を切り通そうとするシリスの態度に、サヴィスがクスクスと笑う。
「誤魔化すのがお上手ですこと。……スーリャのことですわ。あなたさまとの関係を知ったのも偶然。でも、今、はっきりわかりましたわ。その左手の指輪はスーリャの首にある青の聖石の対、ですよね?」

サヴィスが指し示したのは、今も変わらずシリスの左薬指に鎮座する指輪。
見る者が見れば、そこに填められた青い石が対の聖石だとわかる。
青の聖石とは二つで一つ。同じ物など存在しないのだ。
サヴィス、否、スーリャとラシャに助けられた少女ヴィスは、にっこりと邪気無く微笑んだ。

名前を出され証拠物件まで指摘されて、シリスはとぼけるのを止めた。
「どこで気づかれました?」
スーリャがカイナに戻ってきてから、彼との接触は十分に気を遣っていた。
今の状態で彼がシリスの相手であることを周囲に知られるのは好ましくない。
特に、シリスに妾を持てという輩達には。
スーリャの性別が知れてしまったら、それこそ奴らの思う壺だ。

「あなたさまの二番目のお名前、ですわ。スーリャが一度だけ、ポロリと零しましたの。ここでは特別な、限られた人だけに許された呼び名。その時のスーリャの表情と声の響きだけで、答えはわかりましたわ。愛されておりますわね」
「……スーリャのことはまだ内密に。近い内に伴侶として内輪ではありますが披露目する予定ですので、それまでは。スーリャの友人として、その席にあなたも列席して頂けますか?」
知られてしまったついでだ。彼の味方は多い方が良い。
以前、一部の人間には彼をルー・ディナの愛し子として紹介している。確かに特別な存在ではあるが、俗世の確固とした身分を彼が持っているわけではない。
人間の価値は地位で決まるわけではないが、それを振りかざし、それを持たない人間を蔑む者もいる。
隣国の姫がスーリャの擁護に回れば、彼に対する風当たりも緩和するだろう。

「喜んで。わたくしがスーリャを守りますわ」
にっこり笑ってヴィスは宣言した。
シリスは自分の先程の言葉を撤回したくなったが、なんとか持ちこたえた。すべてはスーリャを守るためだ。だが、表情までは完全に取り繕えなかったようで、ヴィスがおかしそうに笑った。
「先程のわたくしの言葉を気にされてますの? 冗談ですわ、冗談」
軽い調子で否定したヴィスを、シリスは疑わしげに見た。
こういう勘は外さない。
本人は完全に隠したつもりだろうが、その言葉にも瞳にも本気が垣間見えていたのだ。スーリャの性別についてはまったく触れないが、彼女は知っているのだろうか?

「……本当に。そのつもりはありませんわ」

ヴィスが息を吐き出し、シリスから視線をそらした。手持無沙汰に果実水の入れられたカップを弄りながら、ポツリポツリと言葉を続ける。
「確かにわたくしはスーリャに好意をもっています。けれど、それは……そう。姉妹に向ける感情と同じモノですわ。そう思ってくださいませ。だって、スーリャはとても可愛いのですもの。だから、幸せに笑っていて欲しい。泣かしたくありませんわ。それに――わたくし伴侶となる方はわたくしだけを愛してくれる方でなければ嫌だ、と申しましたでしょう? スーリャにそれをわたくしが求めるのは無理ですわ」
意外な所に伏兵がいたものだ。
彼女の想いは偶然にもシリスが抱く想いと合致していた。
ヴィスがスーリャの害になることはないだろう。シリスにとっては面白くない状況になりそうだが、これも彼のためになるならば致し方ない。それぐらいの度量は持つべきだろう。

「あなたと今後とも良い関係を築いていけることを祈ろう。スーリャをよろしく頼む」
それはシリスの本心からの言葉だった。
彼女とは色々な意味で長い付き合いをしていくことになるはずだ。
幾度かやり取りしたスーリャの手紙の中には、彼女の存在を示唆する文章が出てきていた。それがまさかフィシアの王女だとは思わなかったが――スーリャから友人を取り上げることなど、シリスに出来るわけがない。
「ありがとうございます。わたくしにとって最上級にうれしいお言葉ですわ」
ヴィスが本当にうれしそうに満面の笑みを浮かべる。それに彼は心の底からの笑みを返したのだった。



二人は気付かなかった。
その様子を見ていたスーリャの姿があったことに。
その姿に気付くには少し遠く――今日の彼は女官姿で、周囲に違和感もなく溶け込んでいたのだ。
幸か不幸かスーリャの方は、変装したシリスに気づいてしまった。
だが、スーリャの位置からは相手の女性の顔がよく見えず、彼らが何を話しているかなど聞こえない。彼の視線は自然とその女性の髪色に吸い寄せられていた。

噂の王女さまと同じ、亜麻色の髪。

まさかシリスとヴィスに面識があるなんて思い付きもしない。噂の王女さまがヴィスで、シリスと自分のことを話しているなんて予想外だ。
親しげな男女。
二人の姿はスーリャの瞳にそういう風に映った。
懇意な間柄の男女。
今の彼は心身ともにとても不安定で――その思考は負へと傾いてしまった。
自分でも気付かない内に、少しずつ。
スーリャは色々な柵に囚われ、身動きが出来なくなりつつあった。





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2011/12/12



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