地の先導者 <19>



身支度を整え、少し遅い朝食を終えたスーリャはラシャに訊ねた。
「ナイーシャさんに会いたいんだけど、どうすればいいかな?」
奥宮の主ではあるものの、ナイーシャは必ずしもそこに居るわけではない。様々な立場を持つ彼女の仕事は多岐に渡り、週の何日かは街に出向いて診療も行ってもいる。
多忙な彼女の手をあまり煩わせたくはなかったが、背に腹はかえられない。

「シリスさまからお話は伺いました。僭越ながらナイーシャさまに連絡を取りましたところ、三日後は奥宮に一日いらっしゃるそうです。その日なら何時でもよろしいとのことでございましたが、如何いたしますか?」
柑橘系の爽やかな香りがするお茶が注がれたカップを受け取り、スーリャは逡巡するこなく口を開く。
「それじゃあ三日後の午前中に伺いますって伝えてくれる?」
「承りました」
優雅にお辞儀したラシャが、香りを楽しみお茶を口にしたスーリャを見て、申し訳なさそうに口を開く。

「スーリャさま。奥宮を訪れる際の服装なのですが……女官服の着用をお願いできますでしょうか?」
むせたスーリャの背をさすり、ラシャは言葉を続ける。
「御髪は巾で隠してしまえば、染める必要はないと思います。ただ……ご存じの通り、基本的に奥宮は男子禁制の宮であり、限られた者しか入ることの叶わぬ宮です。スーリャさまのお姿は今はまだ秘されております。対外的に不審に思われないためにも変装は必須かと」
ラシャの言い分はスーリャを守るためのものである。それがわからないほど、彼は愚かではない。
相も変わらず自分の立場は曖昧で弱く、守られなければこうしてこの世界で暮らすことすら出来ない。凹む心を苦笑で隠し、スーリャは頷いた。

王宮は部分的にだが一般人に開放されている。そして、広い宮中で働く人間は多い。働く人間すべての顔を覚えているこ者などいないに等しいだろう。
だが、警備網は奥へ進むほど厳重になり、入れる人間は限定されている。当然、新顔は他人の目に留まりやすくなる。行き先が奥宮ともなれば、取り締まりもかなり厳しいだろう。
そこにラシャの存在が意味を持った。彼女は対外的には今でもナイーシャの女官となっている。そして、ラシャの昔を知る者なら、彼女がナイーシャの護衛頭をしていたことを知っている。ラシャがナイーシャの信頼厚い女官だと認識している。
女官服をまとったスーリャがラシャに連れられて奥宮に入ったとしても、あからさまに怪しまれはしないだろう。
そして、幸か不幸か、スーリャは自分が女顔であることも、背があまり高くないことも重々理解していた。女装すれば確実に女性に見えるだろう。

必要ならば、スーリャに否やはない。
「では、衣の手配もすぐに致しますね」
下がったラシャは早速ナイーシャへと手紙を書き、伝書鳥の足に括りつけて飛ばす。そして、スーリャの着る女官服の手配をするために動き出すのだった。



三日後。

女官服をまとったラシャがスーリャに衣を差し出した。
「スーリャさまが普段着ている衣とは少々着付け方が違いますので、今のお召し物を脱いで、とりあえずこちらを着ていただけますか? その後お呼びください。残りの着付けをお手伝いさせていただきます」
ラシャから肌着を受け取ったスーリャは寝室に戻り着替える。そして、言われた通りに彼女を呼び、残りの着付けをしてもらった。

鏡に映る自分の姿はまったく男に見えない。女官の服装でも違和感がなかった。その事実に、スーリャはため息をつく。
「少々窮屈でございましょうが、ご辛抱ください」
申し訳なさそうな顔をしてラシャはそう言い、スーリャを椅子に座らせた。
彼の髪を梳り、それを頭上で束ねる。そして、その上から巾を被せて組み紐で結った。そのことにより彼の髪の大半は見えなくなる。
髪が終われば次は顔だと、彼女は手際よくスーリャの顔にほんのりとだが化粧を施していく。

そうして完成した、見習い女官のスーリャ。
確かめるようにスーリャは鏡の前に立ち、楚々とお辞儀をした。その動きは軽やかで雅びな少女のものである。
ナイーシャの礼儀作法教室は、しっかりスーリャの身体に叩き込まれている。
それは普段から彼の動作の端々に表れていたが、今はそれを多分に活用して意識的に動作を変える努力が必要だった。
間違っても普段の彼を出すべきではない。そこからボロが出て怪しまれてしまえば、女装が無意味になるだけでなく、彼と行動を共にするラシャにも迷惑が掛ってしまう。
幸いにしてスーリャの想像していたよりも、女官服は実用的な代物だった。華やかさを持ちつつも、それは動きをまったく阻害しない作りとなっている。
見事に化けた自分自身に苦笑いしながらも動作確認をしているスーリャに、彼の心情を悟ったラシャは無言で後片付けに取り掛かったのだった。



「きっとナイーシャさまは首を長くしてお待ちですよ」
ナイーシャの居室へと続く廊下を歩きながら、ラシャはスーリャにだけ聞こえる小さな声で告げる。彼は無言で頷くことしか出来なかった。

館を出て森を抜け、使用人専用の裏門から王宮内の一般区画に入った二人は、誰に怪しまれることもなく奥宮へと向かっていた。
長年ここで働いているだけあってラシャは慣れた様子でスーリャを先導し、宮廷作法に不慣れな彼のフォローをする。
その道程は、こんな簡単に行けていいのかと疑うほど平坦なものだった。

王宮と後宮を隔てる出入口にも、後宮と奥宮を隔てる出入口にも、衛士が扉を挟むように両側に立ち、出入りを管理していた。だが、そこもラシャが衛士の一人に二、三言話し掛け、袖の中に隠し持っていたらしい何かを呈示しただけで通過出来てしまった。
声を出せばさすがに男だとばれるだろうとスーリャは始終無言を貫いていたが、内心、彼女のこの王宮内での立場の高さに戸惑っていた。

元々はこの奥宮の主に仕え、今はその主の命によりスーリャに仕えてくれているラシャ。対外的にはまだナイーシャ付きの女官のままだが、それだけでこうも簡単に部外者であるスーリャが入れるわけがない。
女官服を着ているとはいえ、衛士はスーリャの姿をちらりっと見ただけで、本人に問い質すことは疎か、確認するために話し掛けることすらしなかった。
ナイーシャが何か御布令を出していたとしても、ここまで円滑に進むのはそれを実行するラシャの存在が大きいからだろう。
彼女のここでの立場は、スーリャが考えるよりも高いのかもしれない。

まだこんなことを考えていると知られたら、ラシャはまた怒るだろう。彼女は一度そのことを否定している。自分が望んだことだと、これが自分の意思だ、と。
けれど、どうしてもスーリャは思わずにはいられなかった。

本当に彼女は自分に仕えていて良いのだろうか、と。

ラシャがいるから、スーリャは何不自由なく今の生活を送ることが出来ていた。
どんな些細な疑問だろうと、訊ねれば彼女は嫌な顔一つせずに答えてくれた。懇切丁寧に、ここの人間なら子供でも知っているような事柄でも、笑い飛ばしもせずに。
スーリャが不自由しないように、カイナに馴染めるように、彼女は初めから心を砕いて接してくれていた。
彼女がいなければ、今のようになるまでもっと時間がかかっただろう。
だから――スーリャは思わずにはいられない。

本当に自分は彼女が仕えるに値する人間なのだろうか、と。





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2012/12/10



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