地の先導者 <17>



小休止を終えた後、露天街を巡りたいと言い出したヴィスの希望に沿って移動。一行は王都観光から一転、買い物ツアーと化したのだった。
そして、日が陰る前にヴィスと別れ、スーリャとラシャは帰宅したのだが――館の中に入った瞬間、いつもと違う気配にスーリャは不思議そうな顔をした。
ラシャも何かに気づいたらしく ハッとした顔になる。

そうして二人が足早に居間まで移動すると、そこではこんな時間に居るはずのない人が居た。この館の主が長椅子にゆったりと腰掛け、笑顔でスーリャを迎える。

「おかえり」

久しぶりにその声を聞いた。
久しぶりにその姿を見た。
変わらぬ金色の瞳と穏やかな声。
自分が選んだ唯一の人。

スーリャは入り口で立ち尽くした。
「……シリス。あんた仕事は?」
歓喜に震える心とは裏腹に、その口から出たのは自分でも可愛げがないと思える台詞だけだった。
シリスは苦笑し、スーリャを手招きする。
すでにラシャは奥へと引っ込んでしまい、その場には彼らしかいない。スーリャは困惑も露な顔で、それでも呼ばれるままにゆっくりと彼の傍へ移動する。
シリスは近くまで来たスーリャを引き寄せ、自然な動作で己の膝の上へと誘導し、そっと抱き締めた。

唯一無二の存在を己の腕の中に閉じ込め、
「久しぶりにまともに会う恋人に対してつれないな」
ほうっと安堵の息を吐き出すシリス。それに応えるようにスーリャがおずおずとその背に手を伸ばして抱きついた。
顔を見られることを拒むように、彼はその肩口に額を押しつける。
「だって……」
色々な思いが渦巻き言葉にならず、スーリャは言い淀む。
「わかってる。俺が悪いな。結果的に一月以上もほったらかしにしてしまった」
スーリャは顔を上げないまま、首を横に振った。
「それは…・・仕方ないことだろ。あんたが謝ることじゃない。俺が寝ている間に来ていたのは知ってるんだ。 だから、もし俺のために仕事を放り出して来たんだったら――蹴り出してやる」
憎まれ口を叩きながらも、その腕は離さないとでも言いたげに力が込められる。
シリスは浮かんでくる笑みを抑えられないまま、スーリャの背をポンポンと軽く叩いた。

「おまえならそう言うと思った。安心しろ。今日は本当に早く終わったんだ。それですっ飛んでこっちに来たんだが……反対に待ちぼうけをくらってしまったな」
笑みを含む声につられ、スーリャがそっと顔を上げてシリスを見た。
間近で瞳が合わさった瞬間、それはそれは心底嬉しそうな笑みを浮かべたシリスの表情に頬をほんのり染める。
「やっとこっちを向いた」
シリスがそっと触れるだけの口付けを贈る。スーリャの頬は本人の意思を裏切って、よりいっそう赤く染まった。
「今日はこうして話せてよかった。寝顔だけというのも淋しいものだからな」
しみじみと呟かれた言葉に、スーリャは淋しさを感じていたのは自分だけではないことを悟った。そして、出掛けていたことに申し訳なさを感じたのだった。
表情の変化から彼の考えを読み取ったシリスが、再びスーリャに口付ける。
初めは触れるだけ。そっと角度を変えるように何度も何度も繰り返し、次第に深くなる口付け。離れていた間の時間を埋めるように繰り返されるそれは、スーリャが羞恥で耐えきれずに音を上げるまで続けられたのだった。



スーリャは俯く。
話したいことはたくさんあったはずなのに、何も浮かばない。お腹も一杯、胸も一杯で、ポカポカしている。
これは身綺麗にして、ご飯もしっかり食べたせいだ。
そう自分に言い聞かせてチラリと隣のシリスを盗み見れば、彼は自分を見つめていて、合わさった瞳がおかしそうに笑っていた。

あの後、スーリャだけさっと湯浴みを済まし、二人して早めの夕食を取った。
いつ眠っても大丈夫なように、日没前にすべてを終えておくことは、スーリャにとって習慣になりつつある。
そうして彼らは今、お互いに寄り添うようにして長椅子に座っていた。スーリャには彼が好んで飲むほんのり甘く香る花茶を、シリスには果汁で割った酒をテーブルの上に用意し、ラシャは奥へと下がった。

「あんた下戸なのに、飲んで大丈夫なのかよ」
酒の入っているグラスへと視線をそらし、スーリャが問い掛ける。
「別に下戸じゃない。ただ酒に弱いだけだ」
憮然とした声で反論し、シリスはグラスに手を伸ばす。それを横からかすめ取り、スーリャが一口だけ口に含んで顔を少し顰めた。
「酒の味なんてほとんどしないだろう?」
呆れた様子でそれを眺めていたシリスにグラスを返し、スーリャは口を尖らせる。
「……酒じゃなく、ジュースだ」
ラシャはシリスが酒に弱いことを知っている。だから、酒を所望した彼に出したそれは、スーリャの言葉の通り、ほんのりと酒の味がするかも? 程度のジュースと変わらぬ代物だった。
憮然とした面持ちで自分の分のカップを両手で持ち、お茶をすするスーリャの様子に、シリスは苦笑するしかない。

「……夜は相変わらずだと聞いたが――」
躊躇いながらもシリスが切り出した。
「自分ではあまり違和感ないよ。確かに眠るのは早くなったけど、それだけだし」
スーリャは首を傾げて、シリスを見た。
「俺、どこかおかしいのかな?」
ちょっと困ったような顔をしたスーリャに、シリスは安心させるように微笑み、彼の頭を少し乱暴に撫でた。
「ナイーシャさんに訊いてみたんだが……俺には理由を教えてくれなかった。病気じゃないと言っていたが、会いに行ってくるといい。たぶん当事者の蒼夜になら教えてくれるはずだ」
「わかった。ナイーシャさんに会いにいってみるよ。理由がわかるなら知っておきたいし、いつまでもこのままじゃ不便だし。どうにかなるならなんとかしたい」
スーリャは少し考えた後にそう言い、頷いた。
「そうか」
シリスは短く言葉を返しただけだった。
けれど、その空間はけして居心地の悪いものではなかった。スーリャの顔はシリスの姿を認める度に、うれしげな笑みを刻んでいく。

「……シリスの両親ってどんな人達だった?」
スーリャがぽつりと呟いた。
彼の頭を撫でていたシリスの手が戸惑ったように動きを止めた。
「……後悔しているか?」
低く唸るような声の響きはどこまでも苦い。

二度と手放せない。手放したりしない。
再びこの手の中に戻ってきた時に、そう誓ったのだ。
けれど、彼が望まないことを押しつけたくない。
その笑顔が曇る様は見たくない。

シリスの内で渦巻く思いが、考えても正解など出ない問答を繰り返す。
「なんで? あんたが傍にいるのに」
スーリャは不思議そうに首を傾げ、笑い飛ばす。シリスの迷いすら吹き飛ばすように、信頼に満ちた迷いの無い瞳が向けられていた。
「単にあんたの両親はどんな人達だったか知りたいだけ。考えてみれば、俺、何も知らないから」
シリスが安心したように息を吐き出し、スーリャの髪をすく。
「そうだな。実を言えば、俺もはっきりとは覚えていないんだ。母は産後まもなく亡くなり、父も俺が幼い頃に亡くなってしまったからな。ただ聞けば誰もが口を揃えて言うほど、二人は仲の良すぎるぐらいの夫婦だったらしい」

スーリャの笑顔が曇ったことに気づいたシリスがことさら明るく言葉を続ける。
「俺にはナイーシャさんもリマもいたし、じいさまもいた。型破りな育ての母と兄のような叔父、その二人以上に型破りな父代わりの祖父に囲まれていたせいか、両親のいない淋しさなんてあまり感じなかったな。そんなもの感じている暇がなかったんだ」
苦笑するシリスの声に重なる様に、何を想像したのかスーリャも笑い出す。
ナイーシャもリマもシリスを大事にしているのは、初めて会った時から感じられた。そして、彼らを前にする時、当のシリスはというと、今でも時々子供のような態度を取るのだ。
そんな様子を知っているだけに、きっと子供の頃も、彼らはあんな風に彼と接していたに違いない。この様子だと、もしかしたら今以上に構い倒されていたのかもしれない。

「俺も知りたい。蒼夜のご両親はどんな人達だ?」
シリスには一生会うことは出来ないだろう。けれど、この愛しい存在をここまで育ててくれた人達にとても感謝していた。彼らの事を知りたいと思った。
スーリャの顔が懐かしいものを思い出すように柔らかな微笑を浮かべる。
「うちも仲の良い夫婦だったよ。息子から見ても、恥ずかしくなるぐらい万年新婚さんみたいで。それが弟は嫌だったみたいだけど――」
呟くように語られる思い出の数々に、スーリャがどれほど家族を大切にしていたかが伝わってくる。シリスは彼の髪をすきながら、穏やかな気持ちでぽつりぽつりと語られる話を聞いていた。

しばらくして話ながらも、うつらうつらとスーリャの頭が揺れ出した。シリスは彼が手に持っていたカップをそっと取り上げ、テーブルの上に置く。
唐突に止んだスーリャの話に、シリスは彼が眠ってしまったのだと思った。
けれど、顔を覗き込んで見ればスーリャは口をへの字にしていて――目が合った瞬間、彼は一瞬だけ泣き笑いのような表情を浮かべたのだった。
驚くシリスを尻目に、少しだけ躊躇った後、何かを決意したかのようにスーリャが口を開く。
「俺、両親とは血が繋がってなかったんだ。家族だと思っていたのに、って知った時はショックだったよ。あの時はすべてが信じられなくて、自分が根底から覆されたような気がした。すべて忘れたいって思った。……でも、違うって気づいた。シリスがそうじゃないって俺に教えてくれたんだよ。だから、俺――」

コテッと傾いた頭と規則正しい息遣い。
そして、完全に日が沈み薄暗くなった外の様子に、シリスは時間切れを悟った。
スーリャは力の抜けた身体をシリスに預け、安心したように眠っている。
子供のようにあどけない表情で眠るスーリャを、シリスは壊れ物のようにそっと抱き上げ、寝室まで運ぶ。

途切れてしまった言葉の続きは、何だったのだろう?

シリスはベッドにそっとスーリャの身を横たえ、肩まで隠れるように掛布で包む。

「良い夢を」

安らかな眠りが訪れるようにスーリャの額に口付けを落とし、シリスは名残惜しげにその場を去ったのだった。





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2011/12/08



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