地の先導者 <16> |
人の口に戸は立てられないものである。そして、噂というモノは真実が歪められて伝わることがしばしばで曖昧なものであった。 ラシャはそんなものにスーリャが煩わされることを避けよう、彼の耳に根拠もない噂が届かないように尽力した。だが、限られた人間しか接しなかった過去とは違い、今の彼は限りなく自由なのだ。それは当然の事ながら不可能だった。 ルイニ陛下がついに御婚約したらしい。 今、どこかの王女さまが王宮を訪れているようだ。 どちらも事実である。 だから、これを関連付けて考える人間が出てきたとしてもおかしくはなかった。 その亜麻色の髪を持つ王女さまと陛下が婚約したのではないか? これはめでたい、めでたい、と。 人から人へと真しやかに伝わるソレが真実かなど、人々が知りえるはずもない。王とは彼らにとって、遠い存在なのだから――。 スーリャはラシャと共に街に来ていた。 先日ひょんな縁で知り合ったヴィスに、首都・ジニスの街中を案内するためだ。 聞けば彼女はここを訪れてから、勉学や野暮用ばかりで観光などはまったくしていないとのこと。そして、観光案内してくれるほどこの街に詳しく、親しい人間はいないとのことだった。 それならばとその役目を買って出たスーリャ達だった。 大学院の休みという事で今日になったが、キリアはどうしても外せない用事があるという事で一緒ではない。 不慣れな者二人では無理かと諦め、別の日に変更しようとした所をラシャが案内役を申し出たことで、今日の首都観光は実施されたのだった。 噴水のある中央広場でヴィスと合流したスーリャ達は、観光客よろしく街の名所を巡り歩いた。 約一年いたとはいえ、こうして改めて観光などしたこともなかったスーリャは、ヴィスと共にラシャの説明を聞きながら楽しんだ。そして、改めてこの国の有様を、シリスや代々の王達がいかに国のため、ひいては民のために尽力してきたかを知った。 永きにわたり続いてきたジーン王国王家の血筋。 このジニスの街中にはそれを感じさせる建物や街並み、風習が確かに根付いている。途切れさせることなど出来るはずもない。 この街の活気はシリスが取り戻したものだ。街の人々は口々に彼らの王を褒め称える。 そして、こう言うのだ。早くお妃さまをもらってお世継ぎを、と。 そして、こう続くのだ。どうやら最近、陛下は亜麻色の髪を持つどこかの王女さまと婚約したらしい。これはいよいよか。めでたいめでたい、と。 それが真実ではないとスーリャは知っている。シリスがそんなことをするはずがないと、彼は信じている。だが、彼らがこの国の王に望む伴侶はスーリャではない。なんの身分も無い、男である自分ではないのだ。 初めから理解していた。それでも傍に居ることを望んだのは自分自身だ。けれど、現実は考えていたよりも重くスーリャにのし掛かり、物思いに沈む彼の口数は少なくなり、表情も曇っていった。 その様子に気づいたラシャが、二人を甘味処に誘導する。 スーリャが甘党なのは知っている。何かを思い悩んでいるらしい彼の気が少しでも紛れれば良い。 「少し休憩といたしましょう。ここのパフェという物はおいしいですよ。特に四季折々の果物を使ったコチラはオススメです」 同席を固辞するラシャとスーリャの間で一悶着あったが、それは、スーリャの勝利で終わった。店員さながらに品書きを説明するラシャの言葉に勧められるまま、二人は彼女のオススメと飲み物を注文する。 「……一つ不思議に思っていることがあるんです。不躾なことだったらごめんなさい。先に謝っておきます。ラシャさんはスーリャの侍女、ですよね?」 去っていく店員の背を窺いつつ、ヴィスが声を潜めて訊いた。 ラシャはにっこりと誇らしげに笑みを浮かべて頷く。 対外的には、彼女の役割はスーリャの侍女で間違いない。実際には彼を守るための護衛であり、宮中に仕える女官ではあるのだが、普段の彼女の仕事は侍女と大差なかった。 「この前、助けて頂いた時に思ったんです。あなたの使う武術は護身術というより、もっと本格的なものではないかと」 侍女であるラシャが武術をあのように極めているのはなぜなのか。好奇心といえばそれまでだが、少し違和感を感じたのだ。 「……侍女になる前は武で身を立てておりました」 逡巡する間を持たせ後、少し困り顔で答えたラシャに、ヴィスは申し訳なさそうな顔になった。 やはり訊ねては駄目なことだったのか。 「ごめんなさい。その洗練されて淑やかな所作からは予測もつかないような見事な棒捌きだったものだから――」 語尾は小さく尻窄みのように消えていった。 「いいえ。隠していることでもありませんから、謝られることなどございませんよ。ヴィスさまは棒術にお詳しいのですか?」 ラシャの問いに、ヴィスはブンブンと思い切り頭を横に振る。 「詳しくなんてないわ。私自身はまったく、全然、えぇ、これっぽっちも。ただ従弟の武術馬鹿が――」 頬をほんのり赤く染めながら力一杯全否定し、彼女は二人にはよくわからない単語を早口でブツブツと呟き出す。その様子に主従は顔を見合わせた。 そこにちょうどよく店員が注文したパフェを三人前と飲み物を持ってくる。 それぞれの前に置かれたパフェに口元を綻ばせ、三人は同時に最初の一口を食べた。 「〜〜〜!! 何、このクリーム。すっごい美味しい」 「これ、チーズクリームもどき? この果物とよく合ってる」 「このクリームの製造方法はここの秘伝だそうです。スポンジも口の中で溶けていきそうなほどふわふわですね」 こうして三人はとりあえずパフェを消化することに集中した。そして、パフェが半分ほどになった所でラシャが口を開く。 「私は自分に武術の心得があったことを感謝しています。私にこの腕があるからこそ、こうしてスーリャさまに仕えることが出来ているのですから、とても誇らしいことです」 先程の続きであろう話にヴィスは手を止めラシャを見る。彼女の言葉はヴィスに更なる疑問を与えていた。 「どうしてスーリャの侍女に武術の腕が必要になるんですか?」 普通の侍女はそんなもの必要とされない。 なんとも不思議に思えた発言に、ヴィスは好奇心を抑えることができなかった。 「スーリャさまの伴侶の君がスーリャさまをご心配されて、いざという時に守る手段を持つ私を侍女としてお側につけられたのですよ」 ラシャの爆弾発言に、ヴィスの思考回路が一瞬停止した。 ゆっくりと驚きに見開かれていく瞳。ギギギッと錆びついた音が聞こえそうな動作で首を動かし、彼女はスーリャをマジマジと見つめる。 パフェを完食し終えたスーリャはそれまでの二人の会話を話半分に聞いており、ヴィスから向けられる視線の意味がわからなかった。キョトンとした後、彼女達の会話を吟味し、それを理解した途端、彼の頬が紅潮する。 「ラシャ!」 スーリャが羞恥とも悲鳴ともとれそうな声を上げる。対するラシャはにこにこといつもと変わらぬ笑みを浮かべていた。 「事実でございますから」 やんわりとラシャは言い切り、スーリャは反論の言葉も無く押し黙った。 そんな主従のやり取りに、ヴィスの顔に徐々に笑みが浮かんでいく。 「スーリャ、結婚していたのね」 どことなく残念そうなヴィスの声には気づかず、スーリャは首を横に振った。その様子にヴィスは首を傾げる。 「……結婚はしてない」 困ったように顔を歪めるスーリャに、彼女の首は一段と傾いた。 結婚は、してない? 言葉の意味が掴めずに、彼女はスーリャを見つめる。ふとそこで初めて彼が首からさげている物の存在に気づいた。小さな金属細工は緻密な作りで、その真ん中には青い石が密やかな輝きを放っている。 「それって――もしかして青の聖石?」 指し示された己の胸元で揺れた、小さな青い石。この首飾りと同じ物がついた対になる指輪は、シリスの左手薬指で輝いているはずだ。 今ではジーン王国だけに残る古の風習で、婚約の証だと言われている。 「そうだよ」 困った表情のままぶっきら棒に答えたスーリャを不思議に思いながらも、ヴィスはラシャがなぜ伴侶という言葉を使ったのか、納得する答えを見つけた。 「あの儀式は結婚にも等しい誓いと聞いたことがあるわ。それなら恋人ではなく伴侶という言い方も頷けるわね」 カップに手を伸ばし、ヴィスはお茶を飲む。口の中に広がる微かな渋みと深い味わいに、ヴィスは満足げな笑みを顔に浮かべた。 彼女の視線の先では、なぜかスーリャが落ち着きを無くしてウロウロと視線を彷徨わせている。強張ったように見える顔と、先程とは対照的なほど白くなった顔色。 「……結婚と等しい?」 信じられない事を聞いたとでも言いたげな様子に、ヴィスは驚いた。 「知らなかったの?」 いくら他国では廃れた儀式で、百歩譲ってスーリャが儀式の意味を知らなかったとしても、だ。彼の相手は絶対に意味を知っていた。そうでなければこの儀式を行うはずもない。 それなのに騙し討ちのように、自分の伴侶に説明もなく行うなど以ての外だ。 「儀式は神聖なものでしょうに。ましてや誓う神はルー・ディナとメイ・ディクス。彼の神達の前では偽りは許されないのよ」 偽りの誓いはその者の身の破滅を呼ぶ。 それが、他国でこの儀式が廃れた要因だ。 「あの方がスーリャさま以外の方を望まれることはありません。そして、スーリャさまもまた――」 呆然自失なスーリャの代わりに、ラシャが口を開いた。 「だからこそスーリャさまの首には、青の聖石が輝きを失わぬままに存在してお出でなのです」 偽りの誓いは成し得ない。その瞬間に聖石の色は失われてしまうのだから。 ラシャの言葉にスーリャの思考が廻り出す。 確かに儀式は唐突でスーリャにとって青天の霹靂以外の何物でもなかったが、偽りはなかった。 シリスと共に歩むこと。 出来れば、死が二人を別つその時までずっと傍に居られたらいい。 そのためにスーリャは自分の生まれた世界を捨てたのだ。 育ててくれた親も、一緒に育った兄弟も、友人も。全部、失ってでも彼の傍がよかった。どちらか一つしか選べないのなら、何度繰り返そうとも自分は同じ選択しかしないだろう。 物思いに沈んだスーリャの顔に自嘲の笑みが浮かぶ。 黙り込んでしまった彼の様子を窺っていたヴィスとラシャは、その笑みに顔を見合わせる。それは普段彼がみせる雰囲気とはまったく趣を異にした、暗くてとても危うい笑みだった。 「……俺って親不孝だよな」 誰に聞かせるでもなく、低く小さい声でスーリャは呟く。 それを聞き取った二人が眉根を寄せて心配そうに見ていることにも気づかず、彼は自分の殻に閉じ籠もり思考に耽る。 シリスを選んだ時も確かにそう思った。 後悔はしてない。でも、罪悪感がないかと言えば嘘になる。 たとえ彼らが自分の存在を、蒼夜という息子がいたことを忘れてしまったとしても、自分は覚えている。今まで育ててもらったというのに、自分は彼らに何も返せない。結果的に彼らを捨てたのだ。 その所業は、恩を仇で返すに等しいのではないか。 「どうしてそう思うの……」 ヴィスのあまりにも静かな声が、スーリャを思考の海から引き揚げる。彼はゆっくりと視線を彼女に合わせ、問うように見つめた。 「私はスーリャと知り合ったばかりだし、知らないことばかりだし、今のあなたの心境もよくわからない。だから、言わせてもらうわ。あなた、馬鹿でしょう」 真面目な顔でさらりと言われた暴言と突き付けられた人差し指に、スーリャが目を見開く。二人のやり取りを見守っていたラシャもまた驚きに目を見開き、上げそうになった声を抑えるように口に手を当てた。 ラシャはスーリャの事情を知っているからこそ、この話題に入っていけない。彼が両親にもう会えないことを知っているからこそ、下手な慰めも言えなかった。 「そんなこと勝手に決めつけないで! 私ならそう言うわ。親子だろうと他人の心までわかるわけないのよ。想像だろうとそんな風に重石のように思われていたら、それこそ心配で嫁にも出せないじゃない。いいえ、逆ね。嫁に叩き出すわ。そんな心配はいらん、って。後ろめたく思うなら、それを吹き飛ばすぐらい幸せになってみせなさいよ」 そう言い、茶目っ気たっぷりに笑ってみせたヴィスは、スーリャの鼻の頭をツンと軽く突く。 スーリャは鼻を押さえ、目が覚めたように声を立てて笑った。 「なんだよ、その無茶苦茶な理論……」 「無茶苦茶って……十分理に適っているわよ」 残りのパフェを口に運び、幸せそうに顔を綻ばせるヴィスの様子が更にスーリャの笑みを誘った。笑い続ける彼にヴィスがわざと怒った顔を作り、行儀悪く匙の先を向ける。 「笑い過ぎよ」 「ごめん」 謝りつつも笑いの止まらないスーリャに、ヴィスはわざと高飛車に言い放つ。 「許してあげても良いわよ。ただし、これから私の事はお姉さまと呼びなさい」 笑いの衝動からやっと解放されたスーリャが困った顔になった。 「それって本気? ヴィスが言うと洒落にならないんだけど――」 「何それ。まるで私が偉そうにしているみたいじゃない」 「だって、さあ――」 助けを求めるようにスーリャはラシャを見た。それに彼女は苦笑を返すだけで何も言わない。内心、普段の彼に戻ってくれたことに安堵していた。 「冗談に決まっているでしょ。まったくもう」 むくれてパフェにぱくつくヴィスの姿を、スーリャは微笑ましく見る。その時、窓から差し込む光で、彼女の束ねられた長い髪がキラリと反射した。 ヴィスの髪色って亜麻色なんだ。 ふと浮かんだそれは、何気ない言葉だった。この国では別に珍しい色でも無い。 けれど――。 陛下は亜麻色の髪を持つどこかの王女さまと婚約したらしい。 一緒に連想されてしまった噂話と微かな胸の痛みを打ち消すように、スーリャは冷めてしまったお茶を口に含む。それはとても苦くて、いつまでも口の中に残っているようだった。 |
************************************************************* 2011/12/06
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