地の先導者 <15>



シリスはやっと空けた時間でナイーシャの所を訪れた。
リマの話が通っていたらしく、彼女は驚くでもなくにこやかに彼を部屋に迎え入れた。二人が向い合わせで座り、お茶を出され人払いされた所でシリスが単刀直入に口を開く。

「ナイーシャさん。蒼夜の事なんだが……」
「この間会ったけど、元気だったわよ」
言い淀んだシリスに、ナイーシャはにこやかに答え、
「でも、泣かせてしまったの。あの子にはちょっと可哀想な事をしてしまったかもしれないわね」
困ったように頬に手をやり小首を傾げた。
「泣かせた?」
シリスが顔色を変え、身を乗り出す。
二人を隔てるテーブルを乗り越えて今にもナイーシャに詰め寄りそうな勢いの彼に、彼女は苦笑する。
お茶のを入れたカップを優雅な手付きで持ち、一口飲んでから、じっと自分の回答を待っている、変わらない様のシリスにため息をつく。
「落ち着きなさい。スーリャは大丈夫よ。あの子は強い。カイナの裏側を知っても、泣くだけ泣いたら受け止めてくれたわ」

事実を事実として現実を素直に認めることは、言葉で言うほど簡単ではない。
受け入れることのできる、その柔軟で心は愛すべき彼の長所の一つだ。
「本当に蒼夜は……」
「ええ。あの子は中心の地に呼ばれ、あの地に立った」
恐れるように口籠ったシリスに、ナイーシャは彼の心を理解しながらも事実を告げるしかない。
「シリス。あなたでもあの地に入ることは許されていない。でも、最もあの地に近いこの国の王であるあなたは、あの地に何があり、呼ばれた者の意味も教えられているはずよ」
「ああ、知っている。だから、信じたくなかった」
ため息と共に吐き出された言葉には、ひどく苦いものが含まれていた。

「スーリャをあの場所で見つけた時、まさかと思ったわ。あの子は私達一族の血をまったく持っていない。そもそも異世界から現れた存在なのよ。本来、こんな辛い役目を引き継ぐ子じゃないはずなのに――」
ナイーシャが憂いの表情を浮かべ、小さくため息をつく。カップが置かれ、受け皿がカチリと小さな音を立てた。
「確たる根拠はないわ。でも、スーリャがあの場所に呼ばれたのは、何か別の意味がある気がするの。いいえ、気がするじゃないわね。きっと別の意味があるのよ。中心の地の反応が今までと違う気がしたのは確かだから」
シリスは沈黙して、ナイーシャの言葉を頭の中で繰り返す。
何か別の意味、か……。
そうであって欲しい。

そう願うシリスの意識を引き戻すように、ナイーシャが口を開いた。
「スーリャの事は様子をみましょう。そうとしか私達には言えないわ。それとは別に、私、あなたが来たら確認したい事があったのよ。シリス、あなた今、力が使えないって本当なの?」
「……ああ。リマから聞いたのか?」
力が抜け、椅子にどっしりと身を預けたシリスが、あからさまにナイーシャから視線をそらした。彼はその仕草を誤魔化すようにカップを手に取り、少し冷めてしまったお茶をゆっくりと喉に流し込む。
「リマから聞いた話では、多少は使えるみたいだったけど、今の状態はどうなの?」
「どうって……」
誤魔化し笑いはかわされ、
「まあ……」
間を持たせるようにお茶を飲むが、無言の有無を言わせぬ圧力に、
「……使えないな」
敗北したシリスはボソリ呟き、空のカップを受け皿に戻した。

「それはまったく使えないって事かしら?」
「まあ、そうなるか」
ため息と共に吐き出された言葉に、ナイーシャは深刻な顔になる。
「……周りの被害さえ気にしなければ使えない事もないとは思うが。さすがに人間相手にはもう怖くて使えないな。使わない分には何の問題も無いさ」
そう言い切ったシリスの様子にナイーシャは肩を竦め、カップを手に取り、中のお茶を一気に飲み干した。
「御代りは必要かしら?」
シリスの空のカップを指示し訊ねた彼女に、彼は首を振る。
のんびりとお茶を楽しめるような心境ではないし、そういう雰囲気の話でもない。
ナイーシャは傍に置いてあったポットから自分のカップにだけお茶を注ぎ、口を開いた。

「それにしてもどうして突然制御できなくなってしまったのかしらね?」
「……俺の方が聞きたいさ。これといって思い当たるような事はないんだ。ナイーシャさんは何か知らないか?」
シリスは手を組み、真剣な顔をナイーシャに向ける。
「……過去の文献を調べてみるわ。もしかしたら何か出てくるかもしれないから。今の所思いつく事例といえば――」
ナイーシャが眉間に皺を寄せる。
「成長期にたまに起きる急激な力の増大ぐらいだけれど。あなた、今更成長期ってわけでもないでしょ?」
そう問い掛けた彼女自身も本気でそう言ったわけではないだろう。言葉の端々から疑念が伝わってくる。
「そうだな」
シリスも同意を示すように苦笑したが、ふっと浮かんだ考えに眉を顰めた。

急激な力の増大?
まさか、な。

その考えを振り切るように、シリスは頭を振った。
「どうかしたの?」
ナイーシャが彼の様子を訝しげに見ていた。
「いや。なんでもない」
何処と無く煮え切らないシリスの態度に、彼女は自分の言動を振り返る。
そして、たどり着いた結論は――。

力の増大……。力の覚醒?
まさか、ね。

図らずもその答えはシリスが出した結論と同じで、二人は相手の瞳の中にその答えを見出だそうとしばし見つめ合う。
「まあ現時点では俺の事も様子見って事でいいだろう。正解なんて考えても出てこない。普通に暮らしすのに支障はない」
このままこうしていても時間の無駄である。
この件も保留にして、シリスはもう一つの相談事を口にすることにした。

「蒼夜の身体に何かが起こっている。ナイーシャさんならわかるんじゃないか?」
それが彼にとって今もっとも気がかりなことだった。
彼が元気でいてくれる事。
それが第一であり、可能な限り自分の傍にいてずっと居て欲しい。幸せに笑っていて欲しい。
それがシリスの望みだった。
「中心の地とは関係なく?」
「ああ、関係なくだ」
重々しく頷いたシリスに、ナイーシャは考えるように指を自分の頬に当てる。
「スーリャは元気だったわよ。それに何かおかしな事があれば、ラシャが気づくはず」
何か気づけばラシャがナイーシャに相談してこないなど到底思えない。それが自分の仕える大切な可愛い主人の身体の異常というなら、絶対に専門家である自分に訊ねるはずだ。
「今の蒼夜の睡眠は異常だ。何かあってからでは遅い。一度、じっくり診てくれないか?」

「睡眠?」

ナイーシャが意外な言葉を聞いたとでも言いたげに目を見張る。
「俺はここ一ヶ月以上、蒼夜とまったく話してない。それもこれも蒼夜が日没と共に眠りついて、耳元でいくら呼び掛けようとまったく目を覚まさないからだ」
至極真剣な顔をしているシリスに対し、ナイーシャは曖昧な笑みを見せた。
「スーリャは元気よ。専門家の私が言うんだから信用しなさい」
はっきりきっぱり言い切ったナイーシャを、シリスは胡乱に見る。
信用したい。けれど、彼女の浮かべる表情がその気持ちを否定させていた。
シリスの表情からその事を悟ったらしく、ナイーシャは苦笑した。
「日没と共におきる深すぎる睡眠症状は、ある特有の現象のために発生するの。病気じゃないわ。心配しなくても大丈夫よ」

それが何か、ナイーシャは理解している。
シリスはそれが知りたかったが、彼女は曖昧にして言わなかった。そして、彼女が口を濁したということは、彼がこの後いくら訊ねたとしても答えるつもりはないということだ。
優雅にお茶と飲むナイーシャを、シリスは少々恨みがましげに見つめて黙り込む。だが、彼女はその視線を完全に無視して、お茶を楽しんでいた。
シリスは自分の気持ちに区切りをつけるように息を吐き出し、ナイーシャから明確な言葉を引き出すことを早々に諦めた。

「わかった。ナイーシャさんの言葉を信用する。……ただ、俺が今の蒼夜にしてやれることが何かないか、それが知りたい」
「あるわよ。シリスが一番適任なスーリャのために出来ること」
にっこりと勝利者の笑みを見せたナイーシャはあっさりと告げる。
シリスは自分が彼女の手の平で踊っていることをまざまざと感じつつも、それを甘んじて受け入れた。
「病気じゃないと言ってもね。あの状態は平時とは違って、情緒不安定になりやすい。心にも負荷が掛るのね。だからこそ、なるべく安静に心を保たせる必要がある。あの子にとってこの世界でもっとも心を許しているのはシリス、あなたよ。あなた以外の誰の傍で、スーリャがゆっくり安心できると思うの?」
そうでしょと同意を求めるナイーシャに、シリスは返す言葉も無い。

「あんまり仕事ばかりにかまけていると、本当に大切なモノを見失うわよ。色眼鏡で見る人間はどこにでもいるし、虚飾が真しやかに囁かれる場合もある。身を持って知っていたでしょうに――言い訳は必要ないわ」

止めの釘を刺され、シリスは絶句した。
ナイーシャは冷やかな視線を彼から己の手元のカップへと移す。
事実無根の噂話。
脚色されたソレにもし本当に真実が混ざっていたとしても、それは些細なことでしかなかったはずなのだ。
彼女は彼を理解しているからそれがわかる。説明など必要ない。
だが、王宮という場所はあまりにも雑多だ。多くの人間が様々な思惑を持ってうごめき、悪意も善意も入り乱れて完全には制御できない場所である。

「国政を疎かにするのはよくないけれど、すべてをあなたが背負い込む必要はないのよ。あなたには信用するに足る優秀な部下がたくさんいるでしょう。もう少し他人に頼ることを覚えなさい。今日は早めに切り上げて、スーリャと少しゆっくりすること。いいわね?」
それはシリスにとっても望むことだったが、グサリと刺された釘の威力で言葉が出てこない。それでも彼は人形のようにコクンと頷き、是と答えたのだった。





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2011/12/04



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