地の先導者 <14> |
スーリャは当初の目的地、キリアの家にヴィスを連れてきていた。 迷惑かとも考えたが、スーリャが今住んでいる館に連れていくわけにもいかない。 何より、そこよりも断然キリアの家の方が近い。 そして、事情を話せばけして否とは言わないキリアの性格を知っていたからだ。 予想通りキリアは快く受け入れてくれたのだが――。 「母さんがいない時でよかったよ」 ラシャがヴィスの手当てをする様子を眺めつつ、キリアがため息混じりに呟いた。 「迷惑かけてごめん」 スーリャが謝れば、キリアは違うとでも言いたげにヒラヒラ手を振った。 「迷惑だなんて全然思ってないさ。ただあの人がいたらそいつらを自分でシメに行きそうだから。同情の余地無しと言えばそれまでだけど、今頃警備兵にお灸をもらっているだろうそいつらに必要以上の戒めはいらないだろう? ……母さんがやったら半殺し決定だし」 ぼそりと呟かれた最後の言葉は、一番近くに座っていたスーリャだけに聞こえた。ギョッとした様子で自分の顔をマジマジと見つめる彼に、キリアは苦笑を返す。 「見かけで判断すると痛い目にあうんだ、あの人は。一見か弱そうに見えて、その実、物凄く強い上に容赦がない」 スーリャの顔に疑う色を見つけ、キリアは更に言葉を続ける。 「その顔はまったく信じてないだろ? 悔しいけど俺よりは確実に強い。十回試あって、一回勝てればいいほうなんだから」 スーリャは答えに困り、視線を泳がせた。 その言葉が事実だとするなら、確かに強いに違いない。 武術ではスーリャはキリアにまったく勝てない。悲しいかな軽くあしらわれるぐらいの腕しかなかった。 人間、誰にでも向き不向きがあるんだ。 そう自分に言い聞かせて、スーリャはいじけ心をこっそり慰める。 「まあ俺に武術を一通り教えてくれたのも母さんだけどさ。女性と子供は守る者、敵には一切の容赦なし。これ、あの人の絶対的持論。まあ良くも悪くも極端なんだよ」 肩を竦め、そう締め括ったキリアの言葉に、クスクスと笑う声が被さった。 そちらの方を見れば、治療を終えたヴィスが笑っていた。 「……ごめんなさい。笑うつもりはなかったんだけど、つい……。素敵なお母さまですね」 なんとか笑いを止め、それでも笑みの残る顔で彼女は言った。 それにキリアは苦笑を返す。 「助けてもらったうえに怪我の治療まで……本当に迷惑をかけてしまって。ありがとう」 すまなそうにペコリと頭を下げたヴィスに、スーリャはブンブンと頭を振った。 「困った時はお互い様。って、俺は何もしてないけど」 アハハと笑うスーリャに、ヴィスとキリアはお互いの顔を見合わせて笑顔を浮かべる。 スーリャがいなければたぶんこんな風にはいられない。 切欠は彼が作ったものだ。 「まあスーリャの人の良さは置いといて、だ。なんであんな場所にいたんだ……えぇ〜と」 「ヴィスです。そう呼んでください」 「ヴィスは。――ああ、俺はキリアな」 キリアの言葉にヴィスは小さく頷き、そして、不思議そうに首を傾げた。 「あんな場所、ですか?」 キリアの言いたい事を心底わかっていないらしいヴィスに、キリアの顔に困惑を浮かべる。 「……もしかしてあそこがどんな場所か知らずにいた、とか?」 スーリャが問い掛ければ、 「……何かまずい場所だったの?」 恐る恐るといった感じでヴィスが問い返す。 「とりあえず、俺にも敬語じゃなくていいよ。……それで、だ。あの場所なんだけど、あそこら一帯は歓楽街。はっきり言えば、花街? みたいな?」 その言葉を聞いた瞬間、ヴィスの顔が受けた衝撃に引きつる。 「……もしかしなくても、私、かなり危ない状況だったのかしら」 呆然とした今更な呟きに、キリアもスーリャも深々と頷いた。 「いくら昼間とはいえ、あの界隈で女の一人歩きはおすすめしない。治安が悪いとは言わないけどさ。用心しておくにこしたことはない」 キリアとてラシャがいなければスーリャに近道としてあの道を教えたりしなかった。それはスーリャが無力だからではない。彼は十分戦力としての力を持っていた。 だが、スーリャは守られるべき人間なのだ。それを自覚している彼だが、いつでも大人しく守られてくれる性格もしていない。 それを理解し、その上で彼を抑える事も出来るラシャの、ただならぬ腕とその心持ちを十分に理解していたから、大丈夫だと判断しただけなのだ。 「ま、偶々とはいえ今回は俺とラシャがいたわけだし、今度から気をつければ大丈夫だよ」 スーリャが安心させるように笑んだ。 その人を安心させるような笑みにつられて、ヴィスも小さく笑みを浮かべる。 「ヴィスは王都の人じゃないんだよね? どこから来たの?」 王都で暮らしていれば知っているはずの事を彼女は知らない。 それは彼女が王都の出ではなく、かつ、ここを訪れてそれほど日が経っていない事を意味していた。 「ええ。この国には最近来たばかりなの。フィシアから経済を学びに来たのよ」 そう言ったヴィスの表情はひどく嬉しげで、どこか誇らしげにも見えた。 「それじゃ院生か……」 ぼそりと呟いたキリアに、ヴィスが頷く。 スーリャは意味がわからず首を傾げた。 「院生って……?」 カイナに、ジーン王国に来てからほぼ一年。 けれど、まだまだわからない事がたまに出てくる。 「……ああ。義務教育を終えた人間がそれ以上に勉強するために行くのが大学院。院生って言うのは、そこに通う生徒の事」 それは近辺の国々にとっては、共通の常識だった。 その事を知らないスーリャを、ヴィスは不思議そうに見る。 「俺もこの国の人間じゃないんだ。ここで暮らし始めてから一年ぐらい経つけど、まだまだわからない事もたくさんで勉強中」 苦笑するスーリャに、ヴィスも笑い返す。 「なら、私よりは先輩ね」 そう茶化した彼女に、スーリャとキリアは互いの顔を見合わせ、声を立てて笑う。 「黒髪はジーン王国を含め、近隣諸国の間ではあまり見ないから、言い方は悪いけど珍しいと思ったの。スーリャは遠くから来たの?」 ヴィスの言葉に、一瞬スーリャの顔が固まる。 笑顔からちょっと困ったような顔になり、 「……そう。遠くから来たんだ」 それだけ言葉にして口を噤んだ。 まさか正直に異世界にある日本から来たとは言えない。 そんな国、カイナには存在しないのだから。 当然、異世界から『天の審判者』として、ジーン王国に降り立ったなど言えるはずもない。 もしヴィスが詳しく突っ込んで訊いてきたらどうしようかとスーリャは困ったが、彼女はそれに触れる事はなく。 「そうなんだ。黒髪は確かに珍しいけど……そういえばここの今の国王さまも黒髪だったわね。それほど気にするモノでもないのかしらね」 あっさりとしたヴィスの物言いに、スーリャは拍子抜けする。 それにしても――。 「ヴィスの国にも伝わるぐらい有名なの?」 シリスの外見的特徴がそれほど有名だとは知らなかったスーリャである。 国内はともかく国外まで広まっているとは。 それはキリアも知らなかったらしく、興味津々といった様子でヴィスの答えを待っている。 「ええ。近隣諸国内ではめずらしい容姿って事もあるけれど。この国は長い安定した歴史を持つ国でもあるでしょう? それは代々の王が善政を施してきた結果でもある。特に現国王は先だっての危機を脱し、短期間で国を立て直し、以前と遜色なく、いいえ、それ以上の発展を遂げようとしている。その手腕は見事なもの。噂では『天の審判者』が出たとも言われていたし――」 最後の言葉にスーリャは内心ギクリとしたが、なんとか表面に出すことは抑えた。 「だからこそ、近隣諸国でも一目置かれた存在なのよ」 そう締め括ったヴィスの顔には憧れのようなものが浮かんでいた。 そして、己の言葉を反芻したのか。ハッとなって口許を手で覆い、頬をほんのり赤くする。 「って、私ったら何で力説しているのかしらね。そんな事、この国に私より長く住んでいるあなた達の方がよく知っているわよね。恥ずかしい……」 その恥じらう姿が微笑ましくて、スーリャが笑む。 それにいっそうヴィスは頬を赤くしたが。 「そんな事ないよ。俺も、もっと勉強しないと。シリスがそんな風に言われてるなんて知らなかった」 スーリャの言葉に、ヴィスが「え?」 といった顔になる。 「どうかした?」 ヴィスの変化に、スーリャは首を傾げた。 「……いいえ。なんでもないわ」 ヴィスは首を横に振り、話題を変えるようにキリアを見て話し掛ける。 スーリャは知らなかった。 なんの気負いもなく呼んだ名前が特別なものである事に――。 |
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