地の先導者 <12>



夜もだいぶ更けた闇の時間。
夜陰に紛れるように木々の中で密やかに建つ館をシリスは日課のごとく訪れる。
それはひとえに最愛の者に会うためなのだが――。
「蒼夜は?」
いつものように出迎えたラシャに問い掛け、
「お休みになられておいでです」
いつもと変わりない答えをもらい、シリスは意気消沈した。
時間も時間なのだから仕方ない。
そう自分を慰めるものの、話せない淋しさを消すことはできなかった。

「ただ、スーリャさまからお手紙を預かっております」
そう言うラシャの顔には微笑ましそうな笑みが浮かんでいる。
だが、受け取ったシリスはそれを気にする余裕すらなく、至極不思議そうな顔をして首を捻った。
「手紙……?」
今までスーリャから手紙などもらったことがない。
というか、彼がこちらの共通文字を書いた物すらシリスは見た事がなかった。
古代文字はナイーシャに絞られている時に書いていたが、スーリャはたぶん文を書くことが得意ではないのだ。。
あの時の彼の、親の仇を見ているような表情で机上の紙と睨めっこをしていた、その姿を見ていればそれが十分にわかる。
だというのに、手紙?
ラシャから受け取った封筒をシリスはしげしげと見つめた。
いったいどんな顔をして書いていたのか。
その姿を想像して、面映ゆくなる。
きっと悪戦苦闘しつつ、一生懸命書いたに違いない。
「私は今日はこれにて下がらせていただきます」
「ああ」
ラシャの言葉にシリスは曖昧に頷いた。
その瞳はスーリャの手紙に向けられたままだ。
彼女が自分に宛がわれた部屋に下がった後、シリスは気を落ち着けるようにどっしりと椅子に腰掛け、封を開け、中の手紙を取り出したのだった。



手紙を読み終わった後、シリスは居ても立ってもいられず、スーリャの眠る寝室へと向かった。
そっとベッドの端に腰掛け彼の顔を覗き込み、穏やかな寝息とその表情に安心した。
けれど、同時に目覚めないその姿が少しだけ憎らしく思える。
その感情によって色を変える蒼い瞳を見なくなって、その唇から紡がれる声を聞かなくなってどれほどの時が過ぎたか。
募る想いをシリスは口付けに変える。
彼のこの安らかな顔を目にしてしまうと、起こしてしまうのは忍びない。
だから、そっとかすめる程度の接吻を送る。
眠り姫は起きることなく、少しだけその顔に笑みを浮かべただけだった。
けれど、それだけでシリスは一日の疲れも吹き飛ぶような気がした。
スーリャが笑ってくれる。
それだけで――。
そっと彼の髪をすき、シリスは穏やかな顔で微笑む。

仕事を放り出せば、絶対にスーリャは怒る。
せめて日のあるうちに終わらせて会いに来れればとも思うが、それも今は叶わない。
スーリャには淋しい思いをさせているはずなのに、手紙にはこちらが淋しく思えるほど、一文字もそんな事は書かれていなかった。
近況とシリスの体調を気遣う言葉。
それしかなかったが、彼の性格を考えればそれは当たり前すぎた。
妙な所でスーリャは遠慮する。
もっと甘えて欲しい。
もっとわがままになっても良いというのに――。
自分の存在を彼は過小評価しがちだった。
それが彼の長所であり短所でもあるのだが。

思えば思うほど、愛しさはますばかり。

だからこそ、シリスはこの状態を歯がゆく感じる。
スーリャからの手紙には気がかりな言葉があった。
本人はそれほど深刻には思っていないようだったが――。
一つは彼の身に起こっている、不自然な眠り。
今までシリスは自分が訪れる時間が遅いからスーリャは眠っているのだと、そう思っていた。
だが、彼の眠りは必ずと言っていいほど日没と共に訪れるのだと、以前はそんな事はなかったと。
そう手紙には書かれていたのだ。
そして、それはカイナに戻ってきた数日後から始まったと。

もともとスーリャはカイナの人間ではない。
再度、カイナに戻ってきたことでその身に負担が生じて、こんな形で出たとしたら?
今はこれだけで済んでいるが、後々別の症状が出るかもしれない。
シリスは心配だった。
それともなんらかの病気だろうか?
嫌な想像が頭を過ぎる。
けれど、視線の先で眠る彼は実に穏やかな顔をして眠っているのだ。
見つめているこちらが幸せな気分になるようなそんな表情。
杞憂であればいい。
そう思いつつもシリスは完全に不安を払拭することができなかった。
少し『みる』ぐらいなら。
心の内でわき上がった考えに、シリスの意思が傾く。
力は使い様。
専門ではなかったが、それはほとんど力を必要としない。
必要なのは子供騙し程度のものだった。
それほど微微たるものであるなら、まだ十分コントロールできる。
スーリャに危険はない。
この所落ち着き始めた力の制御に、そう判断したからこそシリスは少しだけ力を使った。
そして、自分の甘い考えをすぐさま思い知ったのだった。

幸い、スーリャに力を使う前に別の物で試したため、彼に被害はなかった。
ただ、その実験物である陶器は甲高い音をたて壊れてしまったが。
シリスは予想外の出来事に驚きを通り越して呆然となり、無事なスーリャを確認して血の気の引く思いを味わった。
もしも直接スーリャに施していたら、粉々な陶器の残骸が彼に成り変っていたのだ。
考えただけで、自分の仕出かしたことにゾッとする。
だが、シリスの思いを余所に、スーリャは相も変わらず穏やかな寝息をたてていた。
甲高い音は静かな室内によく響いたはずなのに、それは彼の睡眠の妨げにはならなかったらしい。
その変化の無さが、シリスの不審を明確なものへと変えた。
傍近くであんな音を聞かされたら、普通は目が覚めるはずなのだ。
それなのに目覚めないなど、逆におかしい。

先程まで起こさないよう気をつけていたことも忘れ、シリスはスーリャの耳元で呼びかけた。
けれど、やはり彼は目覚めない。
声を掛けようが、揺さぶろうが、身体を起こそうが目覚めない。
寝汚くてもここまでされれば大体は起きるはずだ。
完全に覚醒しなくても、なんらかの反応は返るだろう。
ここまでの扱いをうければ。
シリスはどうするべきか悩んだ。
この眠りの深さはどう考えてもかなり変である。
いつもなら即行でナイーシャに見せていそうな所なのだが……。
おかしくは感じていても、何かが引っかかっていて煮え切らない。
なんにせよ、様子を見る必要がありそうだった。
ナイーシャに見てもらうのはそれからでもいい。
彼女も何かと忙しい身ではあるが、大のお気に入りであるスーリャの事ともなれば無理にでも時間を開けそうだ。
けれど、その前に。

ベッドに横たえたスーリャの頬に、憂い顔でシリスはそっと手を添える。
中心の地。
スーリャの手紙の最後に付け足されていた、もう一つの気がかりな言葉。
なぜスーリャが――?
シリスはナイーシャに問いたかった。
彼の地に選ばれた、癒しの力の使い手の宿命。
スーリャが背負うかもしれない、その重荷を否定したかった。
否、して欲しかった。

眠り姫の目覚めはまだ遠い。





*************************************************************
2009/01/03



back / novel / next


Copyright (C) 2009-2012 SAKAKI All Rights Reserved.