地の先導者 <10>



キリアの家から帰ってきた後、スーリャは自室に籠もり唸っていた。
その姿はめずらしく机に向かっており、机上には真っ白な紙。
彼の手にはペンが握られている。
けれど、いつまで経ってもそのペンは動かず、紙も白いままだ。
スーリャはやはりというか――言葉が浮かばず困っていた。

シリスに手紙を書く。
否、誰かに手紙を書くという事がスーリャにとってはひどく久しぶりの事で何をどう書いていいのかわからなかった。
会話ならこんなに悩む事もないのに……。
話したい事はたくさんあったはず。
けれど、文章にしようとすると何も浮かばない。
この時ほど自分の文才の無さを思い知った事はない。
もっと勉強を真面目にしていればよかったのかなぁと過去の自分を振り返り、スーリャは嘆息した。
そして、この世界に無い文明の利器を思う。
携帯電話って本当に便利な道具だったんだと今更ながらにしみじみと感じてしまった。
電話で話す事はスーリャもあまり好きではない。
相手の顔が見えない状態での会話はなんとなく苦手だった。
けれど、今は電子メールというものがある。
「携帯、欲しいかも……」
ポツリと呟いて、自分の考えに苦笑いした。
電気の無いこの世界で携帯電話だけあっても意味がない。
それに、だ。
もし使えるとしてもいざシリスにメールを送るとなれば、結局、自分の手は止まってしまうだろう。
手紙よりも身近で気楽なものだったとはいえ、自分の思いを改めて文章にするというのはやはり難しい。
「あ〜、シリスと話したいな」
スーリャはう〜んと伸びをして、ため息混じりに呟き、再度、机に向き直ったのだった。



そうしてどのくらいの時が経ったのか。
静かな室内に聞こえてきた微かな音に、スーリャは顔を上げた。
四苦八苦しながら書いた手紙はちょうど最後の文字を書き終えた所だ。
目を閉じて、耳に意識を集中させる。
微かに聞こえてくる音。
それは水の音のようにも鈴の音のようにも聞こえる涼やかな音色で、途切れることなく確かに聞こえてくる。
いったいどこから聞こえてくるのか。
スーリャは不思議に思い、首を傾げた。
なぜだろう。
その音に呼ばれているような気がした。

インクが乾いた事を確認してからスーリャは手紙を折りたたみ、傍に用意しておいた封筒へ入れる。
そして、そのまま机の上に置いた。
たぶん今日もシリスが来たとしても会えないだろうから、後で手紙の事はラシャに頼むとして。
今は――。
「ラシャ。ちょっと出掛けたいんだけど、いい?」
部屋を出て、スーリャは奥にいるだろう彼女に呼びかけた。
すぐに現れたラシャは突然のスーリャの問いに不思議そうな顔をする。
「どちらまででしょうか?」
今日はもう出掛けないと言って部屋に篭ったのが、数刻前。
まだ日は高く、出掛けるのに支障はないが、どことなく何かに気を取らているようなスーリャの様子がラシャは気にかかった。

「――わからない。でも、それほど遠くないと思う。音が聞こえるんだ。まるで呼んでいるみたいに」
少し考えた後、何かに気がついたようにラシャがハッとなり、
「それは、鈴のような音、でしょうか?」
真剣な表情でスーリャの瞳をまっすぐに見つめ、問いかけた。
「そうだと思う。ラシャにも聞こえる?」
「いいえ。私にはまったく――」
首を振った彼女に、スーリャが眉間を寄せる。
「俺にだけ聞こえるのか。……出掛けてもいい?」
聞こえる音に嫌な感じはしないし、音の原因を確かめなければ気になって落ち着かない。
ラシャからどういう返答があろうと、スーリャは呼ばれるままにその場に行くつもりだった。
けれど、彼女の様子からたぶん否とは言わない。
訊ねながらも、彼には確信があった。

「はい。途中までですが、お供させていただきます」
予想通りラシャは反対しなかったのだが、出掛ける準備を整え始めた彼女の姿をなんとなく視線で追いつつ、スーリャは首を傾げた。
「途中までって……?」
彼女はこれから行く先の事を知っているのだろうか?
スーリャの呟きを聞き取ったらしいラシャが、動きを止めて彼を見た。
「私は入れませんので途中までとなります。その先は限られた者のみ入る事を許された場所ですから」
よりいっそう首を傾げたスーリャに、彼女はそれ以上の事は語らなかった。
彼に理解できたのは彼女がその場所について何か知っている。
それだけだった。

ラシャは仕度を済ませてからスーリャに向き直る。
「導きのままにお進みください」
恭しく頭を垂れた彼女にスーリャは困惑した顔でもの問いたげに彼女を見たが、顔を上げたラシャは微笑むだけでやはり何も語ろうとはしなかった。
そんな彼女の態度に腑に落ちないものを感じながらも、スーリャは音に導かれるまま一歩を踏み出したのだった。





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2008/11/07



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