地の先導者 <1>



ジーン王国首都・ジニスにある王宮での事。
ここ数ヶ月ほど、心ここに在らずといった有様で、それでもいちおう執務を行っていた王がついに姿をくらました。
その事を知っているのは、一部の者のみ。
王に近しい臣下、主に大臣達はまたいつもの事かと内心ため息をつく。
ジーン王国の現国王、ルイニ・シリス・ジーンクスは国を民を思う良き王だったが、たまに仕事を放り出し、数日姿をくらますという悪癖を持っていた。
ただし、優秀な宰相の補佐と、帰ってきた後に本人が放り出した分の仕事をしっかりこなすので方々に影響が出る事はない。
だからこそ、その事実を知っているのは一部の者だけで済んでいたのだが――。

今回もいつもと同じだと思っていた大臣達。
三日ぶりに戻ってきた王は、いつもと変わりなく姿をくらましていた間に溜まってしまった仕事を精力的に消化している。
王の元を訪れた大臣の一人は、その姿を目にしてホッと小さく安堵の息を吐き出した。
だが、何か違和感を覚え、思わずその場に止まり王の姿を確認する。
一見どこも変わりのない、いつもの王なのだが……。
大臣は不躾だとは思いつつも、何か見逃してはいけない事のような気がして王を凝視した。
用は済んだというのになかなか立ち去ろうとしない大臣を不審に思い、王が手を止め顔を上げる。
けれど、その視線を気にする余裕もなく大臣の視線は王の左手を、正確には左薬指にある物に固定されていた。

「……………陛下、その指輪はもしや――」
続きを口にするのも憚られ、言い淀む。
目の錯覚であって欲しい、という大臣の思いとは裏腹に、
「縁の輪だ」
王はニヤリと笑い、彼が否定したがっていた言葉を堂々と言い切った。
「縁の輪とは、あの縁の輪ですか!」
動揺も露わにそう問う声は信じたくないという思いで掠れていた。
「あのも何もないだろ。縁の輪と言えば青の聖石の対の指輪。婚約の証だ。それ以外の何がある?」
王の左薬指で煌きを放つ、小さな青い石の指輪。
紛う方なきそれを凝視し、それでも大臣は信じられない気持ちで一杯だった。

今まで結婚の"け"の字すら徹底的に拒否し続けていた王が。
無理に強行したら、とんでもない打ち壊し方をしてくれた王が。
噂は出てもどこ吹く風で、他人事のように無関心だった王が、だ。
まさか婚約?

いくら結婚を拒否しようと王である以上いずれはそうせざる終えない。
せいぜいあと数年の事だ。
その時にはぜひ自分の娘を――。
そう考えていたのは何も自分だけではないはずだ。
なのに……。
予想外の事に大臣は困惑した。
「相手はどこのどなたですか?」
勢い込んで訊ねれば、
「俺の選んだ相手に文句があるのか?」
逆に問い返されて、答えに困り大臣は王から視線をそらした。
「いえ、そうではありませんが……」
言葉を濁す大臣を、王が胡乱に見つめる。
「誰に何を言われようと俺の意思は変わらない。俺の伴侶はただ一人だ。――用が済んだなら、さっさと退室しろ。俺は忙しい」
それだけ言って止めていた手を再び動かし始めた王に、大臣はスゴスゴと言われた通り大人しく退室するしかなかった。



「あれでよかったんですか? やっと落ち着いたというのに、また騒がしくなりますよ?」
事の成り行きを静かに、それとなく見守っていたリマが声をかけた。
「わかっている。だが、いずれ決着をつけるべき問題だ。これ以上先延ばしにしても良い事などないだろう? ちょうどいい機会だ。ここではっきりとさせた方がいい。俺は蒼夜以外の手を取るつもりはない」
そう断言するシリスの声には微塵の迷いもなかった。
「スーリャはどこに?」
「俺の館にいる。今日は外にも出れないだろう」
シリスの口元に浮かんだ笑みと、含みを持った言葉に、リマは額に手を当てため息をつく。
「……ほどほどにしておかないと嫌われますよ」
呆れたように忠告し、表情を改め問いかける。

「ラシャも一緒ですよね?」
シリスが頷くのを確認して、リマは思案げに顎に手を当てた。
「では、とりあえず大丈夫ですね。あの館にいる限り、彼女の側にいる限り、スーリャの身の安全は守られる。でも、あんな事を堂々と宣言して、どう対処するつもりですか?」
「どうもこうも正攻法でいくつもりだ。蒼夜を俺の婚約者として、未来の正妃として披露する」
リマが頭が痛いとでも言いたげに顔をしかめて、米神を揉み解す。
「本気で言っているんですか?」
「冗談で言うと思うか?」
手を止め顔を上げたシリスと目が合い、リマはわざとらしく深々とため息をついた。
金色の瞳が本気だと語っている。
「私は反対しませんよ。あなたが唯一伴侶にと選んだ人ですし、スーリャはいい子です。頭の回転も悪くはないですし、今はまだ勉強も経験も足りませんが、いずれはあなたを、ひいてはこの国を支える事のできる王妃になるでしょう。ただし、それも彼が女性、または両性であればの話です。今の我が国の法では同性婚は認められていません。それはわかっていますよね?」

「いっそ法改正でもするか?」
ぼそりと呟かれた言葉を耳にして、リマはシリスを冷ややかに見つめる。
「本気で言ったのなら、私はあなたを愚王と罵りますよ」
その視線を真っ向から受け止め、シリスは肩を竦めた。
「冗談だ。『王とは私情に捕らわれず、常に民を最優先に考える者。己が意見を貫く前に、まずは周りを見よ。他人の意見を聞け。己が判断で、己が責任で実行せよ。一度始めたなら迷うな』だろ? 爺さんの教えはしっかり覚えているし、正しいと思う。王としてはわかっている。ただ、シリスとしてはな」
そう言いたくもなるだろう?
シリスは片手で顔を覆い、深いため息をつく。
「可能性がないわけじゃない。これはルー・ディナに聞いた話だから確かな事だと思うが、蒼夜は性別を変える事ができるらしい。ただし、それには本人が心から望んだ場合のみという条件がつくがな」

二人が結婚できるかはスーリャ次第。
けれど、少しだけ希望が見えた。
ただ、そうなってくると時間が限られてくる。
「性別の転換が可能な期間は成人後数年。確か十八、九歳ぐらいが上限だったはず……彼の歳は?」
審判者としての役目を終えた今なら、彼の記憶はすべて戻っているはずだ。
そう思い、訊ねたリマにシリスは沈痛な面持ちで答えを返す。
「俺と初めて会ったあの日、ちょうど十八になったらしい」
予想もしなかった衝撃的な言葉を聞かされ、リマはしばし絶句した。
あれで十八、という言葉がリマの頭の中ではグルグルと回っている。
出会った当初。
多く見積もって十五、六歳ぐらいだと思っていた。
だが、今の言葉を聞くに、あの時、彼は十八だった事になる。
「おまえの言いたい事はわかる。俺もそれを聞いた時は自分の耳を疑ったからな。だが、事実だ。俺が焦る気持ちもわかるだろ?」
半信半疑の状態で、なんとか己を納得させようとしているリマの様子に、シリスは苦笑する。
「……ええ。では、彼はもう十九なのですね?」
リマが確認のために問い、シリスはそれに無言で頷いた。
それを見て、リマが深く息を吐き出す。
「そうですか……」
呟かれた言葉が重い静寂の訪れた室内に沈んでいった。





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本編終了+α からほぼ時差ゼロの続編開始です。
2007/08/04



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