嵐の訪問 <後編>



楓は菓子鉢から饅頭を取り出し、包みをはがして齧った。咀嚼し、飲み込んでから、気分を変えるように問い掛ける。

「それで。そなた、今日は何をしに来た ?  その様子では、森の様子を見に来たわけでもないのであろう ? 」
「いや、それもあって来た。森は無事、元気にしているか ? 」
お茶をすする聖を、楓が物問いたげに見る。
「元気過ぎるくらい元気だ。前以上に真面目に力の制御と術の鍛錬に取り組んでおってな。職員に保護された時は泣きじゃくっていて、しばらく宥めるのに苦労したが。……あの子の要領を得ない話を聞くに、あの男と会ってしまったようだの」
「まあ、な」
あの時のことを思い出して、聖が苦笑する。
「二度目はない、と言われた。あいつに手を出すようなことを二度としないよう、しっかり釘を刺しておかないと」

「手を出す ? 」
訝しげな声に、聖が首を傾げる。
「無謀なことに、逃がす間際に幻術を放っていった」
聞いてないか ?
そう問う聖に、楓は顔面蒼白になる。
「……大丈夫だ。今回だけはなんとかなった」

詳しい諸々を語りたくなかった聖は、それだけで済まそうとした。だが、そんな色々困った事態になっていたとは知る由もなかった楓は、彼に洗いざらい吐くように告げ、そのための手段を選ばなかった。
結局、聖は言いたくなかったことまで話すことになり―― すべてを語り終えた彼はテーブルに突っ伏し、すべてを聞き終えた楓は色々からかいのネタを仕入れて、先程とは一転、御満悦だった。

その様子をほとんど無表情で見物していた少年が、なんとなく向けられた楓の視線に冷めた視線を返す。
「何か ? 」
少年らしからぬ表情と落ち着いた様子に、楓が困惑して聖を見た。
「色味以外はそなたに似なかったのだな」
しみじみと呟き、それが聞こえた聖がむくりと起き上がった。
「あいつそっくりだろ ?  俺はこいつの将来が今から心配で仕方ない」
そういう聖はしっかり親の顔をしていて、楓はそれを微笑ましく思う。
多少の親馬鹿発言は、許容の範囲内だった。
そうして二人はほのぼのとした空気をかもし出していたのだが、そこに冷やかな声が落とされる。

「何度も言ってますが、あんな男と一緒にしないでください」

静かに、けれどはっきりとした口調で否定をした少年は、ひどく嫌そうな表情をしていた。先程の無表情はどこに行ったと言いたくなるような、あからさまな変化に楓が目を丸くする。

「……これが生まれ落ちて三日の、子供の発言か。可愛くないのぉ」

余程嫌なのか、愛らしい顔の眉間には皺が寄っている。
その様子がおかしくて楓はテーブル越しに手を伸ばし、小さな頭をグリグリと撫でた。聖のふわふわで絡まりやすい銀髪とは違い、その髪はまっすぐでサラリと手からすり抜ける。

力一杯手を払い除けられても、不愉快そうな青色の瞳に睨まれても、楓はカラカラと笑っていた。
「力が安定してないように見えるのは、生まれたばかりだからか。潜在的にはかなり持っていそうだが――。少年、女人には優しく接した方が何かとお得ぞ。これも人の世で生きる処世術だと覚えておくが良い」
菓子鉢から饅頭を取り出し、包みをはがして少年の手に持たせる。
「饅頭も初めてだろう ?  先程の煎餅とは違ってこれは甘い。食うてみよ」
ほれっとうながされて、少年は手にした饅頭を一口かじる。
ほんの少しだけ綻んだ顔に、楓は唸った。

愛想はまったくない。だが、その表情や動作が人目を引いた。
もともとあの男にそっくりだから、容姿はかなり整っている。
その上、妙に世話を焼きたくなるような気分にさせられる、何かが少年にはあった。

「……聖よ。そなたの心配が単なる親馬鹿発言でないと、実感できてしまったではないか。これは成長すれば、女泣かせになるやもしれん。下手をすると、あの男よりたちが悪いぞ」
男のように相手を拒絶するような空気が、少年にはまだない。
このまま成長すればあの男にそっくりな美麗な顔と、均整のとれたしなやかな身体を持つ存在になるはずだ。
目の保養のためにも、成長した姿は今から楽しみではある。だが、そうなれば街を歩いているだけで女人がつれそうだった。

「おいッ。どんな心配だよ。俺はな、このまま烙みたいな俺様に育ったら困ると……あぁ〜、もう。どちらにしろ子供に聞かせる話じゃないな。本題に入ると、だ。あのさ、俺がここでもう一度働くことって可能か ? 」
意外な提案に、楓は目を見開く。
「こちらは万年人手不足でな。そなたならいつでも大歓迎だ」
「なら、前と同じようにバイトで雇ってくれないかな。あれならある程度、時間の自由がきくだろ ? 」
聖の意図を正確に読み取った楓が、意味ありげに頷く。

「そういうことか。あの男に子育てなんぞ、望んだとて不可能であろうからな」
「まあ、そういうこと。もう少し大きく成長するまでは色々、な」
互いの意思を理解し終えた所で、饅頭を食べ終えた少年が水を差す。
「別に、私のことは放っておいてくれて構いませんよ。勝手に成長しますから」
「駄目だ。確かにちっとやそっとじゃ死にはしないだろうし、どうにでも生きていけるだろうけど、俺が心配なんだよ。せめて青年期に入ってある程度成長するまでは親元にいろ」

その言葉がどれほど、少年を縛っているか。

聖は知らない。あの男は彼にその事実が伝わることを望んでいない。
それは少年も同じだ。
たとえ聖が納得しない限り、あの男が少年の行動を呪縛し続けるとわかっていても、その考えは変わらない。

男の八つ当たりの矛先を向けられるのは御免だが、彼らの側はけして居心地が悪いわけではない。それが親というモノなのかもしれないが、それとこれは別問題だ。少年に彼らの邪魔をする気はまったくない。

だから――。
彼が取れる行動は、地道に聖を説得していくことしかなかった。

「……あなたは一族にあるまじき世話焼きですね」
多少の皮肉くらい言っても許されるはずだ。
そう告げて苦笑した少年に、聖もまた苦笑した。
「これが俺だ。あいつがそれで良いって言うんだから、それで良いんだよ」
堂々とした無自覚な発言に、少年は呆れる。
「惚気なくても、あなた方の仲の良さは私の生まれが証明してますよ」
ため息をつき、二人のやり取りを面白そうに見物していた楓に視線を向ける。
少年の言葉にアタフタとしていた聖は彼の視線の先をたどり、その先でニヤニヤと笑ってお茶を飲んでいる彼女の姿を見つけて顔を赤くした。尻尾がそれはもう、楽しそうにユラユラと揺れている。

「俺は別に、惚気なんて――」
「仲の良い両親で良かったな、少年」

否定しようとする聖の言葉を遮って、楓が意味ありげに少年を見る。
「別に良いも悪いも関係ないですよ。ただ―― ああ、やはり来ましたね」
自分と同質の、なじみ深い気配が現れて少年は無感情に呟く。

そろそろ我慢の限界だとは思っていたのだ。
少年が考えていたよりも、少し早かったが―― そこには男が立っていた。

聖がギョッと身を固まらせたのは一瞬。彼は次に男に会ったら一発殴ると言ったことを忘れていなかった。
すばやく立ち上がり、体勢を整えて男の頬に向かって拳を繰り出す。けれど、それは当然の如く、あっさり烙に受け止められた。

「なんで止めるんだよ」
「殴られるようなことをした覚えはないが ? 」

双方不機嫌そうに顔を見合わせ。

「……全然、隔離されてなかったじゃないか」

恨めしそうな聖の呟きに、なんのことか一瞬視線を彷徨わせた後、そのことに思い当たった烙は、ソファでのんきに新たな饅頭を食べていた少年を見た。

「ようやく会話になって良かったですね」

少年の意図を知った烙が、不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「余計な世話だ」
少年から聖へと視線を戻した彼は一転、その顔に妖艶な笑みを浮かべ、
「別に恥ずかしがることもあるまい。あれは我らにとって自然の営みだ」
怯んだ聖の身体を引き寄せ、腕の中に閉じ込める。

「それともおまえは俺が……欲しくなかったか ? 」
耳元でそっと囁かれ、その艶やかな声音に聖の頬が熱を持つ。
「別に、そんなこと……言って………ない」
つっかえながらも、小さな消え入りそうな声で聖は否定した。その頭を優しく撫で、彼に見えない所で烙は人の悪い笑みを浮かべる。
「では、帰ろうか。俺もおまえが欲しい。おまえが足りない。構ってくれ」
コクンと腕の中で確かに頷いたのを感じた烙は笑みを深くし、饅頭を食べながら二人のやり取りを観察していた少年を見る。

「邪魔はしませんから、お好きにどうぞ」

呆れた声でそれだけ告げると、少年は二人から視線を外してお茶をすすった。
その声に烙と二人きりでなかったことを思い出した聖が、彼の腕の中で身動ぎし出す。だが、烙が捕えた獲物を逃がすはずもない。

「邪魔をしたな。二、三日コレを預かってくれ」

顔を赤くして固まっている楓にそれだけ告げると、彼らはその場から消えた。
耳は良いのでこの程度距離なら、二人の会話はすべて筒抜けだ。
その場に残されたのは、平然とした様子でお茶を飲む少年と、緊張の糸が切れた後、彼らの甘い空気に当てられて煩悶する楓のみ。

「……なんというか、少年。苦労するな」

なんとか立ち直った後、それでも赤いままだろう顔を扇を広げて隠し、楓はひとり取り残された少年に声を掛ける。その声に同情が多分に含まれていたのは仕方ないというものだ。
あんな甘過ぎる空気に当てられっ放しでは堪らない。
「苦労、ですか。あの人達はあれくらいでちょうど良いと思いますよ。こちらも多少は迷惑していますが、最終的な手綱は聖が握ってますから」
さらりと当たり前のように返され、その妙に悟った返答に楓は苦笑する。

これは本当に将来、大物になるかもしれない。

饅頭が気にいったのか。三個目を食べ始めた少年が言葉を続ける。
「あの男もああ言っていたので、できればここに三日ほど置いて欲しいのですが、よろしいですか ? 」
「それは構わぬが―― あぁ、忘れておった」
廊下を走ってくる幾人もの騒々しい足音に、楓は項垂れる。
これで三度目だ。あの男がこちらの事情を考慮してくれないことだけは悟った。
これはもう、あの男限定の対処法を考えた方が良い。毎度の大騒ぎと、それを宥め事情を説明し、納得させる作業は大変なのだ。

察しの良い少年は、この騒々しい足音の原因があの男の出現だということに気づく。だから――。
「ご迷惑をお掛けします」
姿勢を正し、ペコリと丁寧にお辞儀までして謝った。
その言動に楓は状況も忘れて、マジマジと彼を見る。
「前言撤回しよう。そなたは聖にもよく似ておる」
一般常識を弁えた、中身は大人のような少年の頭を撫で、彼女はにっこりと笑う。少し嫌そうにしながらも、今度はその手が払い除けられることはなかった。

「そういえば告げてなかった。妾は楓という。現在の立場は協会の長だが、少年、呼び名はなんと申す ? 」

「……銀」

騒々しい音を立て勢いよく扉が開くのと、少年、銀の口から呼び名が告げられたのは、ほぼ同時だった。





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2012/05/08
修正 2012/10/28



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