約束



「シリス、だいぶ前にした約束って覚えてる?」
どことなく物憂げなスーリャに、シリスは心配そうに眉をひそめた。
「だいぶ前になるんだけど、花が咲いたら一緒に見に行こうって約束」
シリスの表情をどう受け止めたのか、慌てたようにスーリャは言葉を付け足した。その様に、シリスは顔に笑みを浮かべる。
「覚えている。花が咲いたのか?」

スーリャの故郷の木にそっくりな木があったと。幹も葉も同じだから花も同じはず、と。嬉しそうに語っていたその顔は笑みに彩られ、懐かしそうに故郷に思いをはせていた瞳に、シリスはヤキモキしたのだ。
場所を訊いたら、それは王宮の裏にある森の奥まった所だと言う。それなら咲いたら一緒に見に行こうと言ったのだ。
約束したのは晩秋。
あれからだいぶ経ち、季節は秋から冬、冬から春へ。
花の季節へと移り変わっていた。
春の花だと聞いたから、咲いていてもおかしくない。だが、予想とは裏腹にスーリャは首を横に振った。

「……駄目になった。だから――」
言葉は続かず、スーリャは俯く。項垂れた様子に、シリスの眉間に皺が寄った。
「何も今年だけじゃない。花は毎年咲くんだ。来年行けば良い」
慰めるようにシリスはスーリャの頭を撫でる。けれど、彼は俯いたまま、再度、首を横に振った。
「そうじゃない。……もう、無いんだ。木が無いから――」
見れない。
顔は見えなくても、声とその態度から意気消沈していることはわかる。
「木が無い?」
予想外の答えにシリスは驚き、
「切られたみたい……」
やっと顔を上げ、力無さげに笑ったスーリャに彼は眉根を寄せた。

「切られた……?」
ぼそりと呟き、記憶を探る。
王宮の裏にある森は、王家の私有地で勝手に伐採することはできないはずなのだが――。
「―― あぁ、そういえば……」
確かに伐採の許可を出していた。
手入れは人任せだが、伐採などの場合は書類のやり取りを交わす決まりになっている。どうやらその対象にスーリャの言っていた木も入っていたらしい。
「すまない。伐採の許可を出したのは俺だ。いくつか古木が手のほどこしようのない状態で、このままでは周りの他の木にも影響が出るかもしれないから今のうちに切ってしまいたいと言う報告が上がっていたんだ」
「そう。……なら仕方ないよね」
そう言ったきりスーリャは沈黙した。視線は手元のカップの中身に注がれたまま動かない。
シリスはそんな様子の彼に、かける言葉が見つからなかった。



後日。
シリスはその場所を訪れる。
長い年月を経てきたことを物語る切り株をひと撫でして、重々しいため息をつく。
無惨に切られたそれを目の当たりにすると、スーリャの意気消沈した様子も相まって悔恨がわいてくる。
だが、それも今更だ。
思いを断ち切るように視線を外した時、その先で何かが掠めた。切り株ばかりに気を取られていたけれど――。
見つけたそれにシリスは笑みを浮かべたのだった。



「蒼夜、出掛けよう」
昼間の、いつもならまだ仕事中の時間に唐突に現れたかと思えば、これまた唐突にシリスはそう言った。
「は?」
仕事は?
そう問い掛ける間も無く、スーリャはシリスに手を引っ張られ、転けそうになった。
「ちょっ――」
危なげなくスーリャの身体を支え、シリスは少しだけばつの悪そうな顔になる。
「悪い。時間がないんだ。けど、今日を逃すと俺の都合がつく頃には終わってそうだからな。ちょっと付き合ってくれ」

そうして連れ出された森の中。
見覚えのある道行きに、徐々にスーリャの表情は固くなっていく。このまま進めば、そこには真新しい断面をさらす切り株があるはずだ。
それを見つけた日以来、その姿を見たくなくてそこには行っていない。
シリスはその場所に向かっているのか?
なぜ……?
スーリャの中は困惑で一杯だった。

そうしてたどり着いた場所はスーリャの予想通り、あの場所だった。
スーリャの視界の先には、切り株。それを凝視する彼の表情はひどく痛ましく、それ以外の物は見えていないようだ。
「おまえにそんな顔をさせるために、ここに連れてきた訳じゃないんだが……」
苦く呟き、シリスはスーリャの頭を乱暴に撫でる。
「見せたいのはそこの奥だ」
シリスが指し示した指先をたどり、切り株のある場所よりも奥にスーリャは初めて視線を向けた。

「おまえが見たいと言った花は、あの花と同じじゃないか?」
そこにあったのは、まだ年若い、手で折れそうなほど細い木。地に根づいて数年といったその木には、数個の花がついていた。
薄桃色の小さな花が――。
「どうして……?」
呆然とした小さな呟きがその口から零れる。
「おまえが見たいと言った木の満開にはほど遠いだろうがな、切られた木を見に来て蕾が膨らみかけていたこの木を偶然見つけた。幹の感じからたぶん同じだと思ってな。様子を見ていたら、聞いていたのと同じような花が咲いた。俺の目利きも大したものだろう」

にやりと笑ったシリスに、スーリャは泣き笑いのような顔で抱きついた。
「ありがと」
この場所に来ることを拒んでしまった自分では、きっと見つけられなかった。あのままでは、ここを悲しい場所としか留めることなく忌避し続けただろう。
「シリス。来年も一緒に見たいって言ったら付き合ってくれる?」
「ああ。来年も、再来年も、そのまた次の年も。一緒に見に来よう」
二人は見つめ合い微笑む。
「見上げるほどの満開に咲き誇る花々を拝めるのは、当分先の話になるだろうがな」
そう付け足したシリスに、スーリャが笑い声をあげた。
「約束」
スーリャが笑いながら言った。
「ああ、約束だ」
シリスが穏やかに微笑みながら答える。
愛しさ満たされた金色の瞳が、まっすぐにスーリャを見つめていた。

来年も。
再来年も。
そのまた次の年も。

ずっとずっと一緒に。





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一年くらいかけてゆっくり書き上げ、Web拍手お礼にしようと思い、掲載時期を逃し続けた小話。
2012/01/31



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