ある日の午後



午後の休憩時間。
いわゆる三時のおやつの時間を、スーリャはよく外で取っていた。
ぽかぽか陽気に誘われ、今日も外でラシャの入れてくれたお茶を楽しんでいると、いつものようにシリスが現れる。
たまに違う時間にも現れるが、彼の出現確率が一番高いのはこの時間だった。
ラシャがシリスにもお茶を出し、そして、下がった。

「あんたさ。毎日こうしてここに来るけど、仕事はいいの?」
あいさつ代わりにスーリャが呆れたように訊けば、
「俺にだって休憩は必要だ」
答えになっているような、なっていないような返事をして、シリスは素知らぬ顔でお茶を口に運ぶ。
その様子をスーリャは疑いの眼差しでじっと見つめる。しばらくして、その視線に耐え切れなくなったシリスがため息をついた。
「大丈夫だ。さぼってはいない。……もし俺がさぼったとしても、リマがいる。あいつがいればなんとかなる」
よりいっそう濃くなった疑いの色に、シリスが頭をかいた。
「少しは俺の言葉を信用しろ。王さま家業なんてもの、息抜きがなくてやってられるか」
しかめた顔とどこか投げやりな言葉が、今のシリスの心情をよく表していた。
それにスーリャがため息をつく。

確かにシリスの言い分も一理ある。何事も根を詰めてやっても集中力が途切れれば、効率はよくない。だが――。
「今のあんたの言葉を聞いて、リマの気苦労が絶えない理由がわかった気がする」
スーリャはリマに同情したのだった。
「そういえばリマって何やってるの? その口振りだとあんたの仕事を手伝ってるみたいだけど……」
「……言ってなかったか?」
心底意外そうな表情をしたシリスに、スーリャは頷く。
「そうか。とうに知っていると思っていた。リマは宰相をしている」

一瞬キョトンとした表情になったスーリャだったが、数度その言葉を頭の中で繰り返し、妙に納得した表情になった。
その様子を観察していたシリスは、釈然としない思いに憮然とする。
「俺の時とはずいぶん違う反応だな」
どこか拗ねた雰囲気のある声はスーリャの笑いを誘った。
「それは仕方ないだろ。あんた、自分が王さまらしいと思うか?」
笑いの混じった問い掛けに、シリスの眉間に皺が寄る。けれど、肯定も否定もせずに彼は沈黙を選んだ。
それをスーリャは勝手に肯定と判断して、
「そうだろ? シリスは王さまって印象が当てはまらないんだ。でも、リマはなんとなく偉い人なんだなって思えるような雰囲気を持っていたから、宰相って聞いてああそうかって妙に納得できた」
笑顔で暴言を吐いた。けれど、スーリャに悪気はまったく無い。

シリスが唸る。
その様子を気にした風でもなく、スーリャは言葉を続ける。
「でも、リマって武官系の職についてるのかと思ってた」
「は?」
予想外の言葉に、シリスが間抜けな面をさらして訊き返す。
「初めは文官系の職についてるかもって思ってたんだけど、あんたと話してる時によく手が出てただろ? 本で叩くとか、本を投げるとか。ものすごく的確な感じでさ。見掛けと違って、かなり強そうだったし」
理由を述べるスーリャから視線を外し、シリスはあらぬ方を見た。自分を落ち着かせるために、お茶を一口含み、ゆっくり飲み下す。
「……ああ、確かにリマは強いな。たぶん、剣の腕はこの国で一番だ。俺があいつに勝ったことは一度も無いし、勝てるとも思っていない。奇跡でも起こらない限り、俺は剣ではリマに絶対勝てない」
遠くを見つめるシリスは、何かを思い出しているのだろう。その顔はどことなく血の気が引けているように見えた。
「そんなに強いんだ」
スーリャの口から零れた言葉は純粋な感想だったのだが、シリスはそれに過剰反応した。

「強いなんてものじゃない! 他から飛び抜けているんだ。もともとあいつは容赦がない上に、剣を持つと特に人格が変わるからな。好んで剣を合わせたいとは絶対に思わない。そんなものこっちから願い下げだ。よく覚えておけよ、スーリャ。リマはこの国一番の剣の使い手だが、もし剣を習うことがあってもあいつにだけは師事するな。命がいくらあっても足りない」
とんでもない勢いでまくし立てられ、スーリャは言葉もなくコクコクと頷く。
シリスの顔は至って真剣だ。
どう見ても冗談を言っているようには見えない。
「あいつの前で剣の話は絶対にするな」

そう念を押すシリスの後ろには、当の本人の姿があった。スーリャは驚き、思わず上がりそうになった声を己の手で塞ぐ。
いつからそこにいたのか。まったく気づかなかった。
「なんの話をしているんですか?」
穏やかな口調と笑顔。だが、リマの瞳は笑っていない。
スーリャの背筋を冷たいものが通り過ぎていった。それは前に座るシリスも同じだろう。否、たぶんスーリャが受ける以上の衝撃を彼は受けているはずだ。
その顔は完全に青ざめ引きつり、彼は身動きすらできないでいた。

「……なんでもない。それよりなんでおまえがここにいるんだ?」
なんとか平静を装おうとしているらしいシリスの声は、その思いを裏切ってかすれ気味だった。
リマはどこから二人の会話を聞いていたのか。
シリスが激しく動揺していることに気づいているだろう彼は、それについてはまったく触れずに笑みを深めた。 けれど、その瞳はやはり微塵も笑っていない。
リマのまとう空気はどこまでも静かだったが、それが逆に恐かった。スーリャは逃げ出したくなる身をなんとかその場に止め、様子をうかがう。
「休憩だと称してなかなか帰ってこないあなたを迎えに来ました。緊急で仕上げてもらいたい仕事もできましたし。人を使って呼ぼうにも、シリスは一度姿をくらますと探し出すのに時間がかかり過ぎますからね。私が呼びに来るのが一番手間も時間もかかりません」
丁寧な言葉も変わりなく、静かで淡々としているようだが。

「忙しい私の仕事をこれ以上余分に増やさないでくださいね」

これはかなり怒っている。
他人事ではあるが、いつこちらに火の粉が飛んでくるかわからない状況に、スーリャは冷や汗をかいていた。
「スーリャ。シリスを連れて行きたいのですが、よろしいでしょうか?」
疑問系でありながら否定を許さない口調に、スーリャは一も二も無く頷いた。
人身御供のようにシリスを差し出す。
ある意味これは彼の自業自得だ。
そう心の中で言い訳しつつも、スーリャはシリスに同情の眼差しを送る。
けれど、それだけに止める。
彼をリマに逆らってまでこの場に止めない辺り、自分の身はやはりかわいいスーリャだった。

力無い様子で立ち上がり、後に続いたシリスにリマは話し掛ける。
「時間が空いたら剣の手合わせをお願いしますね。最近、忙しくてだいぶご無沙汰ですし、シリスの腕が鈍ってないか私自身が確かめたいので」
スーリャからはリマの背しか見えない。だから、彼がどんな表情をしてそう言ったのかはわからなかった。
けれど、その言葉からリマが先程のスーリャとシリスの会話を聞いていたことはわかった。
シリスの背中に悲愴感が漂っている。
その姿は引っ立てられた罪人のようで――。
それでもスーリャは身動きできずに沈黙したまま、二人の姿が見えなくなるまで見送ることしかできなかった。

それから後。
午後のお茶の時間にシリスがスーリャの元を訪れても、長居することは滅多になかった。
その態度の原因が、あの時のリマの怒りであるのは明白で――。
リマは絶対に怒らしてはいけない。
そのことをスーリャは心に深く刻んだのだった。





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時系列でいうと、だいたい「天の審判者」14〜18話の間くらいの話です。本編で書き損ねたリマの職の説明を、と思い書いた話がコレです。思い切り脱線しております。
2006/08/16
修正 2012/01/30



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