理由



「そんなに邪魔なら切ればいいじゃないか」
心底うっとうしそうに解けた髪を縛り直しているシリスを見ながら、スーリャは不思議そうに首を傾げる。
世の女性達が羨みそうなほど、シリスの長い髪はまっすぐでサラサラとしているが、それゆえにしっかりとまとめていても時が立つにつれ自然と解けてしまい、日に何度も縛り直す必要があった。
その作業をそれはそれは面倒そうに、それでも慣れた様子でするシリスの姿をスーリャは今までも目にしていたが、彼の髪がバッサリと短く切られることはない。
それがずっと不思議だった。

「切っていいなら、俺も切っているさ」
慣れた様子で髪を後ろで一つに縛り直してから、シリスはため息混じりに言い、
「この長さが許容範囲ギリギリなんだ」
カップに手を伸ばしてお茶を飲む。
スーリャは訝しげな顔になり、首を傾げた。
「なんの許容範囲?」
訊ねれば、シリスが再度ため息をつく。
「……髪には力が宿るって話、聞いたことないか?」
スーリャが首を横に振るのを見て、シリスはカップをテーブルに戻してゆったりと腕を組んだ。

「力を扱う人間は大抵、髪が長い。それはなぜか。なぜなら髪に力が宿るからだ」
「じゃあ短かったら――」
「力は半減するな……普通は」
「……普通は?」
シリスの言葉に引っかかりを感じ、スーリャは問い返した。
「そう。普通は」
シリスは頷き、言葉を続ける。
「俺の場合、逆作用するみたいで、これ以上短くすると大変なことになるんだ。周りがな」
遠回しな言い方で答えをはぐらかし遠い目をするシリスに、スーリャは焦れて答えを促す。
「結論を言うと?」
「……力が強くなるというか、だだ漏れ状態になるというか。制御不能で、使わなくてもそこそこ被害は出るんだが、下手に使うと妙に作用してさらに被害は甚大。知らずに髪を切った時は、理由がわかるまでしばらくそこかしこで物が壊れたり、他人の叫び声を聞いたりするのが日常茶飯事だった」

開いた口が塞がらないという言葉は、こういう時に使うのかもしれない。
「まったく逆じゃないか!」
やっとスーリャの口から出た言葉は、怒鳴り声に近かった。
感情のままに思わず、テーブルをバシンと叩く。
その反応にシリスは肩を竦め、
「だから、逆作用するって言っただろ。ナイーシャさんが言うには、俺の場合、力の大半を眠らしている部分が髪と密接になっているからそういう現象が起こるんじゃないかってことらしい」
シリスの特別はこういう部分にも表れているようだ。
あまり表面には出さないものの、そのことを気にしている彼の心を思うと何も言えなくなる。
「さすがに俺でもあの騒ぎは二度と経験したくないな」
しみじみと呟かれた彼の言葉を、スーリャは複雑な表情で受け止めたのだった。



「お邪魔かしら―― とも思ったけど、そうでもないようね。ご一緒してもよろしいかしら?」
二人して静かにお茶を飲み、菓子を摘んでいると、唐突にナイーシャが現れた。
「今日は外に行く日だったか?」
ナイーシャに椅子を進めつつ、シリスが声を掛ける。
「ええ、そうよ。今回のお勤めも無事に終わったわ。特に異常もなかったわよ」
ナイーシャは椅子に座り、控えていたラシャから差し出されたお茶を一口飲み、ホッと息を吐き出す。
「そうして帰ってきて、こちらの様子を見物に来てみれば、微妙な雰囲気のあなた達がいたの。甘々な雰囲気を拝めるかと思ったのに―― どうかしたの?」
ナイーシャの意味深な言葉にシリスは苦笑し、スーリャは赤くなる。
「どうもしない。ただ、俺の髪の話をしていただけだ」
その言葉にナイーシャは納得したように頷き、苦笑した。

「あなたのその髪も困ったものよね。でも、私は楽しかったわよ」
意味がわからずにスーリャが首を傾げ、それとは反対にシリスは苦虫を噛み潰したような顔になった。
「――あの時はしばらく人間不信になったぞ」
ぼそりと呟かれたシリスの言葉を、ナイーシャは一蹴する。
「いい勉強になったと思いなさい。世の中、信用していい人間といけない人間がいるって身にしみて理解できたでしょう?」
クスクスと笑うナイーシャを恨みがましくシリスは睨み、うめく。
「そうだとしても四つか五つだった俺を、女装させて街の中に一人わざと置き去りにするのはどうかと思うぞ? おかげで俺は危うく変態の餌食になる所だった」
当時の事を思い出したのか、シリスはブルリとその身を震わせる。
「未遂で防いだでしょ。それに一人でわざと置き去りにしたわけでもないのよ。そう見せかけて、あなたにも気づかれないようにこっそり護衛をつけて、わざと置き去りにしたの。何かあっても自分ではどうにもできない、そう思えるギリギリまで手を出さないように言い含めてね」

悪気の無い笑みを浮かべるナイーシャの問題発言に、シリスは一瞬硬直し、
「なお悪いじゃないか!」
思わず叫び、初めて知った新事実にショックを受けてテーブルに突っ伏した。
その姿があまりにも哀れに思えて、スーリャはシリスの頭に手を伸ばし、慰めるように撫でる。
「これも母の愛よ。誰でも人間を信用してはダメよってことを教えるためのね。あなたは言葉でいくら言っても聞かなかったでしょ。だから、仕方なく心を鬼にして実地で教え込むことにしたの。今でこそこんな立派に育ってくれたけど、昔は本当に女の子みたいで。あの頃、私はあなたの将来が心配で仕方なかったのよ」
スーリャの慰めとナイーシャの真摯な言葉になんとか浮上したシリスだったが、
「―― このまま育ったら、この子はどこかの狸親父の餌食になるんじゃないかって本気で心配したわ。まあ、取り越し苦労だったみたいだけど」
続く言葉に彼は再度へこんでテーブルに突っ伏したのだった。

完全にいじけてしまったシリスはとりあえずそのままに、事情のまったくわからないスーリャは事のあらましをナイーシャに詳しく訊くことにした。
そうして判明した事実にスーリャは呆れていいのか、同情していいのか。
なんとも表現しようのない思いを抱きながら、当事者であるシリスを見る。
ナイーシャの話によると、四、五歳くらいのシリスは人見知りもなく、それどころかひどく人懐こい子供だったらしい。
ただし、人目で次期国王だとわかるその容姿だったので、周りの人間はそれはそれは気を遣っていた、というか甘やかしていたのだという。
それには彼の立場はもちろんのこと、その容姿や性格も大いに災いしていたらしいが。
このままでは教育上よろしくないと判断したナイーシャは、シリスの髪と瞳の色を幻術で変え、しばしば街に連れ出した。
念には念を入れ、性別も偽り、女装させ。
今こそ整った男らしい顔立ちをしているシリスだが、その頃の彼は中性的な愛らしい顔立ちの子供だったらしく、女装も全然違和感がなかったそうだ。
まあ、元々子供のうちはあまり性別を区別するようなことはしないので、女装と言っても、髪を女の子らしく結って簪を挿すくらいのことしかしなかったそうだが。

初めは信用できる護衛を保護者に見立てて様子見をし、ある時、街で一人置き去りにした。けれど、シリスは泣きもせずに、一人飄々と街中の市を歩き回り、その人懐こい性格と愛らしい表情で露店の店主からちゃっかりお菓子をもらったりしていたらしい。
そんな中、一人の男がシリスに声をかけ、どんな会話をしたかはわからないが、彼を連れて行った。そうしてその先で起こったことと言えば、先程のシリスの言葉通り、幼児趣味な変態に襲われかけたのだと言う。
そして、ナイーシャの言葉通り、こっそりつけていた護衛に助けられ、なんとか未遂で済んだらしい。

小さな子供の時とはいえ、女装姿のシリス。
とても想像できなくて、スーリャは米神を揉み解す。
「……そう言えば、あの事件があってしばらくしてからよね。あなたが髪を自分でばっさり切ったのは」
遠い目をして昔を思い出すように、ナイーシャが呟いた。
「子供の短絡的な考えだったと今は思うが、あの時は髪が短かければこれ以上女装しないで済むと思ったんだ。そもそも襲われたのは女髪を結っていたからだろ?」
その考えも一理はあるかもしれない。
でも――。
スーリャは首を傾げた。
「四、五歳ならある程度の分別もあっただろう? 一番の原因はあんたがのこのこ知らない人間について行ったからじゃないか?」
冷静に正論を吐かれて、シリスは言葉に詰まった。
「そうなのよ。あの頃のこの子ったら、他人に関する警戒心ゼロでね。しかも、今とは違って単純、よく言えば素直で可愛かったものだから、私もだいぶ苦労したわ」
「……悪かったな。今は可愛くなくて」
ブスッとふてくされたようなシリスの呟きに、ナイーシャとスーリャは顔を見合わせて笑い合う。

「何言ってるの。今はこんなに立派に男らしく育って、うれしいし、頼もしいと思っているのよ。これはリマの功績もあるわよね。あの子もあの事があってから、色々考えたみたいだし」
「そう言えばあの直後からだよな、リマが俺を扱き始めたのって」
ふと思い出して、シリスが顔をしかめる。
「まさか――!」
「たぶんそのまさかよ。あの子の本心はあの子に聞くしかないけど。あなたが自分で自分の身を守るために、剣を教えるよう私に言ってきたのはあの子よ。まあ、初めの理由はともかく、途中からは楽しんであなたを扱いていたようにも思えるけど」
苦笑するナイーシャと苦虫を噛み潰したような顔をするシリス。

そして――。

「確かに、途中からは主旨が変わってましたね」
笑い声と共にかけられた言葉に、シリスの顔色が変わる。
「もう時間か?」
振り返ったその先にはリマの姿があった。ひっそりと佇むその姿は、あまり気配を感じさせない。
「いいえ、もう少しはよろしいですよ。用があるのは母さんの方です」
「あら、私?」
不思議そうに首を傾げたナイーシャにリマは頷く。
「ええ。私事ですが、ちょっと」
珍しく言葉を濁す彼に、空気を読んだナイーシャが立ち上がる。
「あなたの室で聞きましょう。―― スーリャ、また奥宮に遊びにいらっしゃい」



リマと共に颯爽と去っていくナイーシャを見送り、シリスは深くため息をつく。
「切れるものなら、切りたいんだがな……」
ぼそりと未練がましく呟かれた言葉に苦笑しつつ、
「でも俺、あんたの髪好きだよ。サラサラで触り心地がよくって。だから、切るのはもったいないよ」
スーリャは本心を言葉にする。
「俺はスーリャの髪の方が何倍もいい。いつまででも触れていたいと思う」
「俺の髪? ああ、だいぶ伸びたよな。邪魔だし切りたいんだけど、ラシャもナイーシャさんも強固にダメだって言うからさ。切り損ねた……って、なんかあんたと同じようなこと言ってるな、俺も」
クスクス笑うスーリャに、シリスも笑い返す。
「俺もナイーシャさんやラシャに賛成だ。俺のためにも伸ばしてくれ」
金色の瞳に宿るやさしい光。
スーリャは急に照れくさくなり、俯き、シリスから視線をそらして沈黙した。
その様子にシリスは笑みを深くしたのだった。





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「天の審判者」51,52話あたりで入れようと思い、あまりに場違い過ぎて入れるのを断念した部分を加工して一つの話にしました。
2007/05/01
修正 2012/01/30



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