はじまりは(セイン×キリア) |
母親の腕には産まれたばかりの赤子。 彼女を囲むように父親らしき男性と十四、五歳ほどになる少年がいた。 少年が物珍しげに赤子の頬をつついている。だが、赤子は気にした様子もなく眠り続けていた。 穏やかな一家団欒の光景。 その様子を少し離れた所から見ている七、八歳ほどの少年がいた。その顔には困惑がありありと表れている。 なぜ自分がこの場に呼ばれたのかわからない。 そんな思いを抱きつつ、それでもこの場から去ることもできずに、部屋の片隅で少年はただ立ち尽くしていた。 それに気づいた母親が少年を手招きし、オズオズと寄ってきた彼に微笑みかける。 「あなたの弟、いいえそうね、妹よ。可愛がってあげてね」 困惑顔で母親を見た少年に、彼女はにっこりと慈愛の笑みを向け、 「名前はキリアよ。抱いてくれるでしょう?」 そう言うが早いか、少年の腕に赤子が乗せられる。 ギョッとしたのは少年だ。 いきなり腕の中に乗せられたモノを落としかけ、慌てて抱き直す。 腕の中には、首も据わっていない赤子がいる。 それがまだ過去にはならない記憶を呼び覚まし、少年は顔を歪めた。 ふと。 腕の中の赤子が唐突に目を開けた。 少年と目が合いキョトンとしたかと思うと、その顔に満面の笑みが浮ぶ。 なんの躊躇いもない、無垢な瞳。 それを目にした少年が、泣き笑いのような顔をした。 「この子も今日からあなたの家族よ。もちろん私達もね。だから遠慮もなしよ、セイン」 腕の中の温もりはまた、うつらうつらと眠り始めていた。その安心しきった様子に少年、セインは再び泣きたくなる。 「泣くことは弱さじゃないわ。泣きたい時には泣きなさい。あなたもその子と同じ、まだ子供なんだから泣くことも仕事なのよ」 赤子と同じにされ、セインは困惑顔になる。そんな彼の頭に、ずっと黙って成り行きを見守っていた男性が手を置いた。 少し乱暴に頭を撫でる手は、少し前に無くした手に似ていて――。 自分を見つめる瞳達が、慈しみに満ちていて――。 セインの瞳から涙が零れた。 それは家族を一度に亡くし、彼がこの家に引き取られてから初めて見せた涙だった。 十数年後。 椅子から立とうとした身重の伴侶に、セインは慌てて手を貸す。その動作は本当に壊れ物を扱うように慎重で、そんな風に扱われる伴侶はそのことにため息を禁じ得ない。 「セイン、そこまで丁寧に扱わなくたって大丈夫だから。普通に接して」 抱き上げようとしていた手を止められ、彼は己の伴侶を見た。 「無理だ。キリア、おまえに何かあったら困る」 その過保護過ぎる言葉に、キリアは完全に呆れた顔になり、 「あのな。家の中でちょっとそこの物を取るだけなのに、それのどこに危険があるって?」 「……転ぶかもしれないだろう」 頑として世話を焼こうとするセインに、キリアが深々とため息をついた。 「そんなこと言ってたら、俺は一歩も歩けないじゃないか。多少は動かないと身体にだって悪いんだ。もちろん腹の中の子にもな。なにも体術や剣術をやろうって訳でもないし、馬に乗るわけでもない。ただ少し歩くだけだ。それくらい構わないだろ?」 セインは渋い表情で黙った。キリアは彼を見上げ、微かな表情の変化すら見逃さないようにじっと見つめる。 セインとて、今の自分がいかに過保護か自覚はある。 それでも目を離せばどんな無茶をするかわからない伴侶が心配で、どうしても過保護になってしまう。 なにせ無茶を無茶とは思わない。それがキリアなのだ。 腹に子がいるというのに、暇だと剣を振り回していたことはまだ記憶に新しい。 さすがに腹の膨らみが目立ってきてからはおとなしくしているようだが、それがいつ覆るかわからない。 心配するなという方が無理だった。 「絶対に武術はやるな。外出には馬車を使え。あと走るな。小走りも駄目だ。守れるか?」 「……わかってるよ」 渋々と頷いたキリアの瞳をまっすぐに見つめて、セインは念を押す。 「絶対だぞ」 それにキリアはむくれたが、文句は言わない。セインの過保護の要因が、自分の行動にあることに薄々気づいていたからだ。 「心配なんだ」 ギュッと気遣うように軽く抱き締められ、キリアはその背に手を回し、宥めるようにポンポンと叩く。 「俺は大丈夫だから、ほらっ。時間だろ? 俺の事より自分の心配しろよ。次に帰ってくるのは、予定日の少し前か。無事に帰って来いよ」 セインはキリアに抱きついたまま、なかなか離れようとしない。その様子にキリアが再度、ため息をつく。 「やはりデイルに押しつけるべきか……」 少し不穏な呟きに、キリアのため息は深くなった。 「兄貴には兄貴の仕事があるだろ。子供みたいなこと言ってないで行ってこい。―― それとも俺に追い出されたいか?」 スッと冷えたキリアを取り巻く空気に、セインが慌てたように離れた。 「わかった。行くから、落ち着け。絶対に激しい運動はするな。おとなしくしていてくれ」 オロオロするセインの姿に、キリアは肩を竦める。 「絶対、無事に帰ってこいよ。俺は寡婦なんてまだなりたくないからな」 大きな戦などない平和な時世とはいえ、まったく争いがないとは言えない。剣を持つ以上、それは常に命のやり取りをしなければならないということだ。 いくらセインの腕が立つとはいえ、キリアとて心配がないわけではなかった。それでも、これもまた、彼が選んだ道なのだから――。 「……行ってくる」 キリアの不安を感じ取ったのか。 セインは安心させるように笑みを浮べ、キリアに触れるだけの口付けをする。そして、後ろ髪を引かれながらも踵を返す。 「行ってらっしゃい」 セインの後姿に小さく呟き、キリアはほんのりと笑ったのだった。 |
************************************************************* セインとキリアの始まりの物語+α。 2008/06/01
修正 2012/01/31 |