連々の絆



それはシリスが十歳の頃の出来事。

「……お帰りなさい」
静かな、静か過ぎる、それでいていつもと変わらない丁寧な言葉を向けられ、暗い室内でコソコソと隠れるように移動していた二人はカチリと固まった。
「リ、リマ? いつからそこに――」
どもりながらシリスが問えば、
「さあ? いつからでしょうね。あなた方がコソコソ入って来た時には、もうここにいたのは確かですが……」

壁に寄りかかり、腕を組んでひっそりと佇んでいたリマは、ゆっくりと二人の方へと歩み寄る。窓から差し込む月明かりで見えた彼の表情には笑みが浮んでいたが、その瞳はまったく笑っていなかった。
冷笑を湛える彼は、その笑みの如く静かに怒っているらしく。
「デイル。あなたという人は、まったく。前にも言いましたよね? シリスはまだ子供なんです。こんな時間に連れ出して、いったい何を考えてるんですか!」
丁寧な言葉ながらも詰問するリマに、デイルは額に手をやり、天を仰いで嘆息した。

「おまえの中では俺が諸悪の根源なのか?」
力なく嘆いてリマを見れば、変わらぬ冷やかな眼差しとぶつかり、
「普段の己の行動を振り返ってみたらどうですか?」
眼差し以上に冷やかな言葉が返ってきて、デイルはへこんだ。確かに品行方正とは冗談でも言えない暮らしぶりだが。
「時々、なんでおまえと友人やってんだかわからなくなるよ、俺は」
口から零れ落ちた小さな呟きは、しっかりとリマの耳に届き、
「くされ縁でしょう。それ以外に何があると?」
顔をしかめた彼にスッパリと切り捨てられたのだった。

「何か言い訳でもありますか? 内容によっては聞いてあげても良いですよ」
「いや、だからさ。俺が犯人だって決めつけるなよ……。俺は無実だ。それどころか感謝されても良いぐらいだぞ。お宅の坊っちゃんをわざわざ家まで送ってきたんだからさ」
完全に決めつけているリマに、疲れた様子でデイルは反論したのだが。
「ほー」
疑うように目を細めるリマは、まったくその言葉を信じていない。
「おまえな〜。俺の言葉を少しは信じろ。俺が見つけてなければ、いまだにこいつは街の酒場を梯子してたぞ。偶然見つけた俺が、馴染みの店にも寄らずに王宮までわざわざ送り届けてやったんだからな。感謝しろよ」

デイルが批難の眼差しを向ければ、リマがにこやかな笑顔で感謝を述べる。
「シリスを送り届けていただき、ありがとうございました」
ただ、その言葉はあからさまなほど棒読みだった。
そして。
「……馴染みの店、ですか。別にあなたの私生活を咎めるつもりはありませんけどね。節度を持った交際をお願いしますね。部下の恥は上司の恥。ひいては、国の恥になりますから。色恋の刃傷沙汰なんて起こさないでくださいよ」
リマはわざとらしくため息をついたのだった。
「……それのどこが咎めてないんだよ。って、気にする所はそこじゃないだろ。とりあえず俺の話はいいから、このくそガキをどうにかしろ」
ちゃっかり二人が話している間に逃げ出そうとしていたシリスの襟首を捕まえ、デイルは彼をリマの前に差し出した。
「そうですね」
同意を示したリマが、デイルからシリスへと視線を向ける。

「いつからそんなコソコソ逃げ出すような根性無しになったんでしょうね。行き先が『酒場』ということは、まだ諦めてないんですね? シリス。あなたもいい加減、己の立場を受け入れたらどうですか?」
「い・や・だ!」
間髪入れずに否定して、いーッと歯を剥く素直な子供らしいシリスの態度に、大人気なくリマの米神がピクリと震える。それを傍から見ていたデイルは、室内の気温が急に下がったような気がして身震いした。
他人事であるはずなのに、背筋を冷たいものが流れていくのがわかる。
「いくらあなたが否定しようと、事実は変わりませんよ。近い将来、あなたはこの国の王になる。それが現実です」
「そんなのリマが継げばいいだろ。俺はいつかこの国を出て、世界を巡る」
がんとしたシリスの言葉に、リマは深々とため息をつく。

いったい誰に似たのか。
子供ながらもシリスは頑固で、こうと決めた事柄はなかなか覆そうとしない。
彼を説得するのは、実に骨の折れる作業だった。
特に今回の問題は、その傾向が強い。

「無理なことを言わないでください。私には王になる資格がないんですよ」
王になるためにはある力が備わっていることが最低条件なのだが、リマにはその力がまったくない。だから、王の子であっても王位継承権を持たなかった。
「まあ、あったとしてもそんな面倒なものは願い下げですが――」
ポロリと零れた本音に、
「おいっ。そこでおまえの本音を言ってどうする。そんなこと言えば――」
「ずるい!」
黙って二人のやり取りを聞いていたデイルが慌てたようにリマをいさめ、その声に被さるようにシリスの叫びが聞こえた。

「自分が嫌なことを人に押しつけるのはいけないことだって、ナイーシャさんが言ってた。なんで俺だけ! そんなの絶対ずるい!」
言わんこっちゃないと言いたげなデイルの視線を無視して、リマは平然と言い放つ。
「私の言葉を聞いていましたか? 今までにも何度か言ったと思いますが、そもそも私には王になる資格がないんですよ。だから、なんと言おうが思おうが関係ないですし、『ずるい』だなんて言われる筋合いもありません。あなたしかいない以上、諦めなさい。いくら駄々をこねても、シリスの希望は通りませんよ」
「い・や・だ!」
結局、話は振り出しに戻ったのだった。

こうなることは何も今回が初めてではない。何度も繰り返し、互いに平行線をたどったままで、リマはいい加減うんざりしていた。
なぜかシリスは母親代わりであるナイーシャにも、現在の王であり、祖父でもあるルゥイにも我が侭を言わず、リマにだけ言うのだ。
甘えてくれるのはうれしいが、それも度が過ぎれば煩わしい。
何か、何か無いかと考え、ふと妙案を思いついた。

リマの顔に意味ありげな笑みが浮び、それを見てしまったデイルが顔を引きつらせ、少しだけ後退る。それを視界に端にとらえつつも、無視してリマはにこやかな笑顔を浮べてシリスを見た。
「良いことを教えてあげましょうか?」
唐突に態度を変えたリマの様子に、シリスは警戒したが、
「あなたが王位に就かなくて済むかもしれない方法、ですよ。知りたくないですか?」
誘惑には勝てなかった。
それがどんな事態を招くことになるか知りもせずに―― シリスは「知りたい」と言ってしまった。

シリスの態度にリマは満足気に頷き、思いついた案を語り出す。
「あなたも知っての通り、ジーン王国の王位を継ぐには血と資格がいります。けれど、今、両方を備えている人間はあなた一人です。ですが、未来はわからないでしょう」
首を傾げたシリスに、リマは締めの一言を告げたのだった。
「要するに、作ればいいんですよ」
よりいっそう首を傾げるシリスと、頭が痛いとでも言いたげな表情で米神を押えるデイル。
「陛下にお願いしてみてはいかがですか?」
二人の態度を悠然と受け止め、リマは表面上は微笑み、
「…………わかった。してみる」
しばらくして簡潔に返事をしたシリスに、彼は内心ニヤリと笑ったのだった。

シリスがどこまで今の話を理解しているかはわからないが、とりあえずこの問題を別の人間に押し付けることに成功したのは確かで。
しばらくはこれで自分が煩わされることもないだろうと思うと、かなりうれしいリマだった。
押し付ける人間が自分の父親だ、ということはこの際目をつぶる。
応急処置でしかないが、これがどう転がるかはルゥイ次第。きっとリマの意図に気づき、上手いこと誘導、というか誤魔化して、シリスに王位継承を認めさせてくれるだろう。
だが。
事態はリマの思惑を遥かに飛び越え、とんでもない方向へと進むことになる。
普段、何気に周りを振り回している父だ。
たまには孫の我が侭に振り回されればいい。
その考えが間違っていたことにリマが気づいたのは、もう少し後のこと。

「では、しばらくは大人しく良い子にしていてくださいね。そうでないと陛下もお願いを聞いてくれませんよ」
不服そうなシリスの頭をグリグリと撫で、リマが釘を刺す。
「しっかりと勉強もすること。勝手に脱走しないこと。夜に酒場に行くなんて以ての外ですからね」
「……情報収集には酒場が一番なんだぞ」
大人ぶってもっともらしいことを言うシリスの頭を軽く叩き、リマはため息をつく。その考えは間違ってはいないだろうが、子供がやることではない。
「せめてもう少し大人になってからにしてください。―― わかりましたか?」
リマに睨まれ、シリスは渋々と頷いた。
その様子に、再度、リマはため息をついたのだった。



時は経ち、あれから十数年後。



あの頃の自分はつくづく人を疑うことを知らなかった。
リマの言ったことを実行した後に起こった出来事まで思い出して、シリスは苦く笑った。
「なんだなんだー。もう酔ったのか?」
それを見咎め、デイルがからかうように声を掛けてきた。
「そんなわけあるか」
顔をしかめるシリスに、デイルはニヤニヤとした笑いを浮かべる。
「そうか? おまえ、すぐに酔うじゃないか」
「ザルのおまえ達と一緒にするな。俺は普通だ」
そう断言して、シリスは同じく一緒に酒を水のように平然と飲んでいるリマに視線を向けた。

「……何か言いたそうですね」
だいぶ飲んでいるはずなのに酔いのまったく見られない表情で、リマがシリスを見る。
「別に。……ただ、昔、おまえに騙されたことを思い出しただけだ」
リマの視線をふいっと避け、シリスが自分の手元に視線を移す。グラスの中でユラユラと琥珀色の液体が揺れていた。
「色々思い当たらないでもないですが、今更なんのことですか?」
不思議そうな表情になった彼に、シリスはぼそりと一言告げる。
「継承問題」
端的な言葉にしばし考え、「ああ」とリマは頷いた。

子供が産まれることの少ないジーン王家では、王位継承は代々多かれ少なかれ問題になった。シリスの後釜もやっとどうにかなりそうだと希望が見えてきたのがつい最近。
けれど、彼が示しているのはその前。
彼がまだ王位を継ぐことを渋っていた時のことだろう。

「懐かしいですね」
リマのしみじみとした声に、シリスも、彼の言葉に昔の記憶を探り当てたデイルも思い切り顔をしかめる。
「あれを懐かしいの一言で済ませるのは、おまえくらいだろうよ」
ぼそりとデイルが本音を呟き、グラスを煽る。
「母さんも同じことを言うと思いますよ?」
その呟きが聞こえたリマが反論すれば、その言葉にシリスが深々とため息をついた。
「ナイーシャさんは別格だ」
実感の篭った、疲れたような声にリマはしらっとした様子で一口酒を飲み、
「……あれは私の予想の範疇外のことですよ」
過去を顧みて、眉間に皺を寄せた。

ルゥイがどうシリスを丸め込んだか、リマは聞いていない。だが、なぜかそこからシリスの婚約者探しに話が発展したのは事実だった。
結婚にはまだ早い、齢十にして婚約者。
王族ならありえない話ではないが、例外はあっても近年は自由恋愛が主となっていたので、その話はあの当時リマにとっても寝耳に水だった。
特に、あの頃のシリスはまだ本当に子供で。
晩生で初恋もまだのようなそんな子供に、いきなり気に入った婚約者を選べとはかなり無理な話というもの。
それでも有言実効、即行動のルゥイは厳選に厳選を重ね、シリスの婚約者候補を挙げ、強引に彼に引き合わせるという強行に出た。

結果はまあ――惨敗。
その時に子供ながらに熾烈な女の争いの一面を見てしまったシリスは、それがトラウマになったのか。それから伴侶というものに過敏になり、なかなか相手を見つけることができなかった。
このルゥイの作戦は裏目に出たとも言えるが、それでもその後シリスが王位継承に駄々をこねなくなったのは確かで、当初のリマの目的は達成されたことになる。
ただ……どこまでいっても父は振り回す側の人間だった。
その部分を読み違えたのは確かに自分だが、それも過去のこと。
今は――。

「まあ過去はこの際水に流そうじゃないか。せっかくの祝い酒がまずくなる」
デイルが場の雰囲気を変えるように言った。それにリマも便乗する。
「そうですよ。今はあなたも最愛の伴侶を見つけた身。しかも、あと数ヶ月もすれば父ですよ。めでたいことです。今夜は飲みましょう」
掲げられたグラスに、シリスは同じくグラスを掲げる。
「……ありがとう」
自然と口から零れた感謝の念。
グラスの酒を一口含み、飲み下す。
いつもと同じ酒のはずなのに、今までで飲んだどんな物よりもそれは美味く感じたのだった。





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かりのさまリクエスト、『デイルとシリスとリマの話』です。
三人の過去と未来(今)です。意に添えた話になっているといいのですが……(苦笑) 彼ら三人は、ずっとこんな感じでしょう、たぶん。
楽しんでいただけたら幸い。かりのさま、リクエストありがとうございました。
2007/06/25
修正 2012/02/01



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