天に願いを 地に想いを |
空には満天の星。 年に一度、天の川に隔たれた恋人達の逢瀬の時。 ここが地球なら、そうなのだろうが――。 カイナの夜空にも満天の星は輝くものの、天の川と呼ばれるものはなく、当然ながら牽牛と織姫のお伽話もない。この歳になってお伽噺を信じているわけでもないけれど、スーリャは夜空を見上げながらふと思った。 年にたった一度だけ。 けれど、それでも年に一度は会うことができる。 それは幸せなことだと――。 弓張の月は地上に近い場所でぼんやりと輝くだけで、星の瞬きよりも朧だ。 そんな姿にスーリャは思いを馳せる。 彼の神はどれほどの時を、想い人と離れて過ごしたのだろうか、と。 見上げた空にある幾多の星の煌めきが、スーリャの心に一抹の淋しさを呼び覚ました。星が輝けば輝くほど、切なさに胸が締め付けられる。 「蒼夜」 声と共に後ろから回された腕に手を絡め、スーリャは背を預ける。けれど、視線は満天の星空に向けたまま――。 「ルー・ディナがメイ・ディクスと早く会えるようになるといいのに……」 ぽつりと呟いた。 シリスは無言のまま、スーリャを抱き締める腕に力を込める。その力強さにスーリャは、星空からシリスに視線を移して微笑んだ。 「俺は幸せだよ。今、こうしてシリスと一緒にいられる。俺がこの世界に望んだのは、それだけだったんだ」 ……それだけだったはずなんだけどね。 微笑みを苦笑に変え、 「俺は他にもたくさんの幸せをもらったから。だから――」 言葉にならない思いを、スーリャは祈りに変えた。 その切っ掛けを与えてくれた彼の神にも、その想い人にも幸せになって欲しい。彼らが一日でも早く再び会える日が来ることを、スーリャは願わずにはいられなかった。 「ルー?」 久しぶりというにはあまりにも時が経ち過ぎていたけれど、その声に変わりはなくて、 「メイ? 本当にメイ?」 ルー・ディナは信じられない思いで問い返していた。 「ええ、私です。愛しいルー。あなたとこうして話ができるのは、もっと時が経ってからだと思っていました」 懐かしい声は苦笑交じりで、ルー・ディナは切なさに胸が痛くなる。 「どうして? 代償はまだ払い終わっていない。僕らはまだ許されたわけじゃない。なのに――」 そう。 メイ・ディクスの考えと同じように、ルー・ディナもまた、彼の人と話ができるのはもっと時が経ってからだと思っていた。 それほどに自分の仕出かしたことが、許されることではなかったと知っていた。 だが、姿は見えなくてもメイ・ディクスの声が聞こえる。 なぜ? ルー・ディナの胸中は喜びよりも、訝しさが先立った。 「代償をすべて払い終えるにはまだ時が必要でしょう。ルーの言う通り、私達はまだ許されたわけじゃない。でも――」 クスクスと楽しそうな笑い声と共に、メイ・ディクスが残りの言葉を紡ぐ。 「今生の僕らの愛し子は本当に心やさしい子です。平等であるはずのカイナすら、彼の子に甘い」 これはあの子の祈りがもたらしたもの。 ルー・ディナは驚きに目を見開いた。 「ほんのわずかでもルーと話せる時間を、あの子が作ってくれました。私の言葉があなたに届く。これほどうれしいことはありません。触れられないのは残念ですが、それも声すら届かなかった永き時のわびしさを思えば、今、この時がどれほど幸福か。計り知れません」 姿は見えない。 触れられない。 それは、確かに淋しい。 けれど、メイ・ディクスの言うようにこうして会話できるだけでも、これまで永きに渡って隔たり過ごしてきた時を思えば、幸福なことだった。 声が聞ける。 それだけで心が暖かくなる。 それを糧に、ルー・ディナは重くなる口を開いた。 「メイ。……メイシア。今更だけど、あなたが生きていて本当によかった。僕自身があなたを殺してしまう所だったから。あなたに会えず、話しもできない。それも辛かったけれど、その事実が僕には一番辛かったよ。もし、もしもだよ。同じような状況に陥ったとしても、お願いだからあんなことは二度としないで。自分の身を犠牲にしてまで、僕を助けようとしないで」 ずっと心に留まっていた想いは、ルー・ディナにとって苦い思い出でもあった。 けれど、今、伝えなければ、彼の人と話せる時が次にいつ来るかわからない。 当時の事は思い出したくない。それでも言わなければ……。 ―― 大切だから。 唯一無二の存在を自分のために失うなど、ルー・ディナには耐えられない。 だが、返って言葉はそれを拒絶するものだった。 「……ルーシェ。私の想いもまた、あなたと同じです。あなたを失うことなど考えられない。だから、私のすべてを賭して、あなたを守ります。そう遥か昔に決めました。いくらあなたでもその意を覆すことはできませんよ」 メイ・ディクスのきっぱりとした物言いに、ルー・ディナは項垂れた。 姿は見えなくても、彼の人がどのような顔をしてそう言っているのかありありと想像できる。そして、そういう時のメイ・ディクスはルー・ディナがなんと言おうと、己の意思を変えることはしないのだ。 「ルーシェ、泣かないでください」 「……泣いてない」 否定はしたものの、ルー・ディナの声は少し震えていた。 「僕だってあなたを守りたい。確かにメイは僕よりなんでもできるけど、それでも――」 言葉は最後まで声にはならず、ルー・ディナは唇を噛み締めた。 そうしなければ震える唇から嗚咽が零れてしまいそうで、姿は見えなくても敏いメイ・ディクスにすべてが伝わってしまうだろう。けれど、その努力も空しく、彼の人はルー・ディナの様子をしっかり把握しているらしい。 「泣かないでください。今の私にはその涙を拭うこともできない。―― わかりました。とりあえず自分の身を犠牲にしない、ギリギリのところで頑張ります。それでいいでしょう? だから、泣き止んでください」 小さなため息が聞こえ、ルー・ディナはピクリと肩を揺らす。零れ落ちた雫は自然と止まっていた。 「―― もう時間ですね。また、しばしのお別れです。ルー、浮気は駄目ですよ」 遠ざかる声に、ルー・ディナも別れの時を実感する。冗談めかして言われた台詞に、ルー・ディナは苦笑した。 「そっちこそ、浮気しちゃ駄目だよ」 そう言い返してやれば、小さく答えが返ってきた。 「私の心はいつもルーと共に。愛しています、ルーシェ」 たぶん、次の言葉はメイ・ディクスには届かない。 二人の間には再び隔たりができているだろう。 そう思いつつも、ルー・ディナは彼の人に向けて告げる。 「愛しているよ、メイシア」 返る言葉はない。 けれど、これが最後ではないから。 それでもいい。 ルー・ディナは静かになった空間で、幸せそうに微笑んだのだった。 |
************************************************************* 2008/07/08
修正 2012/02/01 |