お菓子とハロウィン



街の中にある、某兵士の詰め所。街の人々からの要望や苦情を聞き、警護をしたり、取り締まったりと街の用心棒的な場所である。兵士達は街の見回りに訓練に、と忙しい。
そんな、一般人には近寄りがたい集団を形成している兵士達だが、けして街の方々の評判は悪くない。近年、近寄りがたい兵士達を身近に感じてもらう機会としても、ある行事が定例となっているのだが――。

年に一度のその行事は、この詰め所の兵士達を恐れ戦かせる唯一の事柄となっていた。



「おいっ。いい加減にしろ」
紅眼の青年が詰め所の厨房に陣取った青年に入り口から話し掛ける。
「なぁに? 私、まだ何もやってないわよ?」
青年の口から出るのは女言葉。けれど、ここにそれを指摘する者はいない。紅眼の青年は出会った時からこの女言葉を話す青年のことを、これはもうこういう生き物だと諦めていた。

「まだ、だろうが。自覚しているなら止めろ」
「嫌よ。私の楽しみを奪わないでちょうだい」

そう言いながら淡々と準備を進める青年に、紅眼の青年は嫌々ながらも台所に足を踏み入れる。
「おまえの楽しみはどうでもいい。それよりもここの兵士達が被る被害の方が甚大だ。ここは今、ほぼもぬけの殻なんだが、分かっているか?」
盛大に顔をしかめる紅眼の青年は、こちらを見向きもしない青年の背後に回ったつもりで、いつの間にか自分が背後を取られていた。
そのことに小さく舌打ちする。

「あら? 今年はそこまでいったの。なんて軟弱な部下共なんでしょう。嫌ねぇ。今年も鍛え直し決定だわ。あなたも一緒にやる?」

紅眼の青年の背後に回った青年は、その首筋に包丁を突き付けながらクスクスと楽しそうに笑う。紅眼の青年は首筋に包丁が突き付けられているというのに動揺した様子もなく、ため息を吐いただけだった。
包丁は向けられていても、殺気はまったくない。この青年が刃物の扱いを間違うはずがない、と紅眼の青年は知っていた。

「おまえ、本当にいい加減にしろよ。部下イジメもここまで来るとタチが悪い」
「イジメだなんて……人聞きの悪いこと言わないでちょうだい。私のこれはそう、愛の鞭よ」
ぞわりと身を震わせた紅眼の青年の様子に、青年は気づかれないようひっそりと苦笑する。

「そんなに私と遊びたいの、りっちゃん?」

笑い混じりに耳元で囁かれた台詞に紅眼の青年は鳥肌を立てたが、身動きはしない。その耳元では更なる囁きが落とされていた。
「鼠が入り込んでいるの。これを期に全部炙り出して処分するわ」
小さく早口で告げられたそれに、紅眼の青年は顔色ひとつ変えずに流す。

「誰がりっちゃんだ。放せ」

無表情で機嫌が悪そうに告げれば、対する笑う青年は彼の首元から包丁を離して素直に彼を解放した。
「仕方ないわね、りっちゃん。照れなくたって良いじゃない、私達の仲なんだから」
どこまでも上機嫌に見える青年は、再び準備を始める。その姿に紅眼の青年はため息を吐く。
いつまでこのふざけた会話を続ける必要があるのかと、心底思っていた。

「俺とおまえの間にどんな仲がある?」
「ホント、連れないわねぇ。あつ〜い夜を二人で過ごした仲じゃない。私にまた、押し倒されたいの?」

「………」

沈黙が痛い時、というものはある。
だが、この青年はそんなものを気にする人物ではなかった。
無表情になった紅眼の青年に、にっこりと青年は笑い掛ける。
「ハロウィンってね、悪戯する悪〜いお化けが仮装する人達に交じっているんですって。だから、悪戯されないためにもお菓子は必要なのよ」
ウインク付きでそう言われて、紅眼の青年は顔を顰める。

「それは、おまえがこれから作ろうとしている極悪品に対する正当性を主張しているのか?」
「そんな毒物みたいな扱いしないでよ。受け取った子供達はよろこんで食べてくれているわよ」

それは事実だ。恒例行事となっている。だが、この行事は配る方の、主にこの詰め所に駐屯している兵士達にとっては、悪夢の行事となっていた。
その元凶である青年は、それを知っていながら止めることをしない。

「な〜に? 今年も兵士達に泣きつかれたの?」
青年の手は止まることなくボウルに卵を割り入れている。
「さすがに、今年はおまえの直ぐ下が苦情に来た。俺に言われたって迷惑だ」
「そう。……まったく。私に直接言いに来なさいよ。手間をかけさせたわね。手間ついでに、私のお願い聞いてくれる?」
軽快に泡立て器をシャカシャカ動かしながら青年は笑顔で告げる。
「嫌だ、と言ったら?」
「……仕方ないわね、と諦めるわよ。今、あなたと事を構えたら、私の楽しみが半減しちゃうもの。このお菓子作りだって中断しちゃうでしょ?」

青年はそう告げながらも、台の上に無造作に放っておいた先程の包丁を紅眼の青年に向かって投げた。
それを分かっていたかのように、なんの前振りもなく無造作に避けた紅眼の青年は、その勢いのままに入り口の外へと動き、一本の包丁と数個の暗器で廊下の壁に張り付けられた男の腹に拳を繰り出す。
重い一撃を受けた男は、呻き声を上げて気絶した。

「鼠一匹確保、かしら。鼠にしてはずいぶんとお間抜けな最後ね」

ボウルを台に置き、青年は廊下の壁に張り付けられた男の元へと歩いてくる。その顔を確認して、気配を消して建物内に配備していた部下を呼び寄せ、後の始末を任せた。

「……鼠狩りはまだ、終わってないだろ?」
「ええ。でも、この建物に残っている鼠はコレだけだから、残りはハロウィンのお化けに任せるわ」

「ジャック・オー・ランタンか」
南瓜ランタンを持った、常世に行けずに現世を彷徨う男。
「あら、知っているの?」
闇に紛れて狩る部下の仮装は、今年、それで決まったようだ。
「……忠告はしたからな。ふざけてないで、さっさと自分の仕事をしろ」

紅眼の青年はそれだけ告げると、その場から立ち去ろうとした。だが、青年が逃がすはずもない。
「そうつれないことを言わないで、私に付き合いなさい。それに、この菓子作りだって私の仕事よ」
素早い動作で、紅眼の青年の襟首を掴む。用心していたにも関わらず、かわす動きすらを読まれて動かれ、捕まったことに紅眼の青年は舌打ちする。

「おまえの仕事は、裏の取り締まりのはずだ」
「それもあるわね」
「……それ以外の何がある?」
「私って優秀な部下がたくさんいるから、これくらい任せちゃって大丈夫なのよ」

厨房に逆戻りした二人は、先程混ぜていたボウルの前に立つ。
「はい。これ、よろしく」
強引に紅眼の青年にボウルを持たせ、青年は有無を言わさぬ笑顔を向ける。
「おまえな。他人の話を少しは――」
「聞いているわよ、しっかり。だから、あなたによろしくって頼んでいるんじゃない。私の部下達は明日の明け方までとっても忙しいの。とても私の手伝いはしてくれないわ」

仕事を押し付けられた部下達は、それはもう、これから大忙しだろう。意外に有能で行動力もある青年が抜けたとなれば、戦力も機動力も落ちる。
そんな部下達に、紅眼の青年はいつものことながら心底同情する。

「手伝ってくれないと――」

手元のボウルをぼんやりと眺めて考え事をしていた紅眼の青年の耳に、不穏な言葉が聞こえる。

「りっちゃんのアジトに潜入して、逃げ場を塞いでから押し倒すわよ」

その瞬間、全身に鳥肌が立った。
冗談か、本気か。笑えない脅しに、紅眼の青年は考える。そう言った青年は何事もなさそうに別のボウルを取り出して大量の粉を振るっていた。
その姿が逆に、紅眼の青年にはそら恐ろしく感じる。

この青年は本気でやると宣言したことはやる人物だ。どうにも先程の言葉は冗談に聞こえなかった。
こんな危険人物に自分のねぐらを襲撃されるなど、たまったものではない。ここは大人しく手伝っておくか。

そう結論を出した紅眼の青年はため息を一つ、手の中のボールを改めてしっかりと見る。
「おいっ、このボウルをどうすればいい?」
紅眼の青年が結論を出す間、ひたすら粉を振るっていた青年は、その言葉ににっこりと笑った。

「手伝ってくれるの?」
「ああ」
「お菓子作りの経験は?」
「料理はしても、菓子は作らん」
真面目に答えた紅眼の青年の顔を、青年はマジマジと見つめる。
「意外だわ。料理はするの?」
「……なんでも一人で出来なければ、死ぬだけだ」
その答えに青年は初めて顔を顰めた。

「今でも、私の部下になる気はない?」
「俺は国にも王にも忠誠なんて誓う気はない」

青年の部下になるということは、国に仕えるということだ。それは王に、ひいては国に忠誠を誓わなくてはならない。
そんな気など微塵もない紅眼の青年には、それはいくら訊かれようとも是と答えることなど出来ない問いだった。

「それにおまえ達とはこれぐらいの距離感があった方が良い、お互いにな」
「……そうね。そうよね」

答えの分かっていた返答だろうと、聞けば気落ちもする。だが、青年はそれを表に出すことはしなかった。にっこりと笑い、言葉を続ける。
「料理が出来るなら問題ないわね。それにコレとコレとコレも入れて、混ぜて混ぜて」
青年は言葉と共にボウルの中に新たな材料を入れ、紅眼の青年にそれらを混ぜるように指示を出す。

「それにしても、あそこで勝手にしろとか言われないで良かったわ。断られていたら、後であなたのアジトに乗り込むつもりではいたけど、さすがにそういう意味で押し倒すのはねぇ。う〜、想像しただけでも鳥肌が立っちゃったわ」

泡立て器でボウルの中身をかき混ぜている紅眼の青年の隣で、そう呟いた青年はふうっと悩ましげな息を吐き出す。

「いくら良い男でも、男は男よね。私にも好みがあるわ」
どうせ押し倒すなら、可愛い女の子が良いもの〜。

こんな口調はしていても、この青年は異性愛者であることを普段から豪語していた。だが、紅眼の青年からすれば、それを揺るがす怪しい言動も多いので信用していない。
わざわざ見せられた青年の腕には、言葉通り、確かに鳥肌が立っている。
だが、それはお互い様だ。それほど嫌なら初めから口にするな、という気分にもなる。
紅眼の青年にだって同じく好みがある。間違っても自分を押し倒すとか言っている、この危険物な青年は好みの範疇には入らない。

そんなことを考えつつも、紅眼の青年の手は動いている。
「あとこの粉を入れて。道具はこっちを使って、サックリと切るように混ぜてね」
泡立て器からヘラに持ち替えて、粉の入ったボウルの中身を言われた通りに混ぜていた。
「……あの子もたまには気が利いたことをするわよね」
新たなボウルに卵を割り入れながら、青年はじみじみと呟く。
「今年作ろうとしていた量は、私一人だとちょっときついかなとは思っていたんだけど、りっちゃんが手伝ってくれるからなんとかなりそうだし。よかったわ」
「………」
紅眼の青年の手が止まった。

「りっちゃんは仕事には律儀だもの。今更、止めるなんて言わないわよねぇ」

初めから妙だとは思っていた。思ってはいたが、毎年の惨状を知っていたから、またかとも思っていたのだ。
だが――。

「いつかその首、掻っ捌いてやる」

どうやら上司と部下の、はったりと策略に見事はめられたらしい。
紅眼の青年はヘラの切っ先を青年の首元スレスレで止めて、その顔を不機嫌に睨む。対する青年は、その顔に妖艶な笑みを浮かべて、紅眼の青年を見つめ返した。

「りっちゃんには無理よ。だって、あなた、一度気を許した相手には本気になれないきらいがあるもの」

そう告げた青年は、自分が告げた言葉を微塵も疑っていない。
先に目をそらしたのは、紅眼の青年の方だった。
「料理道具を脅しの道具に使わないでちょうだい。洗うから、貸して。りっちゃんも手を洗って、今まで混ぜていた物を一つにまとめてくれる?」
自分が先程、密偵相手に包丁を投げたことは完全に棚上げな発言である。
紅眼の青年の手からヘラを奪った青年は、その背を洗い場に促す。

「私を殺したければ、本気で掛かってきなさい」

ヘラを洗い、その水気を布で拭う青年は告げる。手を洗っていた紅眼の青年は、差し出された布で手を拭きながら、その言葉の真意を探っていた。
顰め面をしている紅眼の青年に、青年はにっこりと笑い掛ける。
「でも、そうね。本気なら、勝敗は五分五分かしら?」
「俺が勝つに決まっている」
布を返し、紅眼の青年は踵を返す。
「あら? 大きく出たわね、りっちゃん」
おかしそうな笑い声に混じって聞こえた言葉に、紅眼の青年の眉間に皺が寄る。

「りっちゃん、りっちゃんとさっきから。呼ぶな!」
「嫌〜よ。りっちゃんは、りっちゃんだもの」

どこまでも楽しそうな声が紅眼の青年の神経を逆撫でする。
これはこういう生き物だとわかっていても、我慢に我慢を重ねれば押さえも利かなくなるものだ。
律儀にボウルの中身をまとめる作業をしていた紅眼の青年だったが、戯言を繰り返す青年に、まとめたばかりの手の中身を投げつけてやろうかと顔を上げ、青年を睨みつけ――。

「だから。りっちゃん、大好きよ」

にこにこと笑顔で告げられた言葉に全身の血を下げた。
その全身には、見事に鳥肌が立っている。

「カマはカマだけにしろッ。変態発言はいらん!」

ボトリとちょうどボウルの中に手の中の物を落とし、紅眼の青年は厨房の入り口付近まで瞬時に飛び退く。
「失礼ね。ただ、純粋に好意を口にしただけよ。たまには良いかと思って」
紅眼の青年の言動に、苦笑する青年は心底不本意そうに告げる。
「そういう意味合いは微塵も含んでないわ。私の好みは可愛い女の子だって何度も言ったでしょ?」

嘘を言っているように聞こえない。でも、信用もできない。

「作業量を考えると、あまり時間もないの。遊んでいる暇もないんだから、真面目に作業をしてちょうだい」
手招きする青年を得体の知れない者を見る目で窺っても、その苦笑は変わらない。
「それとも――本気で、私に押し倒されたいの?」
今日一日で何度、その言葉を聞いただろう。

紅眼の青年は即座に思い切り首を横に振り、先程まで作業していた場所まで戻る。その手に新たな材料の入ったボウルと泡立て器を持たされたので、先程と同じ要領で混ぜることに専念した。

「その反応は反応で、なんか釈然としないんだけど……」

そう呟く青年の言葉は、無表情で聞こえない振りをしてやり過ごしたのだった。



こうして、今年のハロウィンもまた、無難に過ぎていく。
甘い、甘〜いお菓子とハロウィン。
詰め所の兵士達の苦行は、まだまだ続くのだった。





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2013/10/31



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