Happy Halloween |
聖が人外の者の生活圏に居を移してからしばらく経った、そんなある日のこと。彼は久しぶりに人間の生活圏を訪れていた。 季節は秋。人間の生活圏では、ハロウィンの飾り付けが街を賑わしている。 その様子に、聖は目を見張った。 彼がここに住んでいた時には、ハロウィンというものは広まっていなかった。それがいつの間にか広がり、当たり前のようにこうして大々的に飾り付けが行われていたりするのだから―― 年月が流れるのは早いというべきなのか。 烙は知っているだろうか。 知らないなら、これはぜひ教えてやらなくては……。 ジャック オ ランタンを模した物を手に取り、眺めながら聖はひっそりと意味ありげに笑う。 もちろん。 教えるのなら実地でやるべきだ。 それは、ちょっとした悪戯心。 そして、そこにはとある下心が隠されていたのだった。 「trick or treat お菓子をくれないと悪戯するぞ」 帰宅早々、ソファに座って本を読んでいた烙に向かって聖は告げる。烙はおかしそうな表情で本から顔を上げ、聖を見た。 「ハロウィンか」 小さく呟いたその顔には、意地の悪そうな笑みが浮かんでいる。 それを目にした聖は、身の危険を感じて反射的にその場から逃げようとした。こういう笑い方をする時は、大抵、碌なことにならないのだ。 けれど、聖の動きより烙の方が少し早く――。 「菓子がないならどんな悪戯をするのか、ぜひとも教えてくれ」 捕まった聖は烙に引き寄せられ、そのまま彼の膝上に横抱きにされる。耳元で囁かれた艶のある低い声に、聖は身体を硬直させた。 墓穴を掘ったかもしれない……。 これはもう、教える云々以前の問題だった。 ようやくそのことに気づいた聖だったが、後の祭りである。 「いや、あのな……」 あわよくば烙手製の菓子にありつけるかも。希望の菓子を作ってくれるなら、なおうれしい。 そのくらいにしか考えていなかった聖は慌てて言葉を探したが、どう言えばいいのか困って途中で詰まった。烙に悪戯など、まったく考えてもいなかったのだ。 視線を彷徨わせてアタフタとする聖の姿に苦笑した烙は、無防備にさらされた彼の耳朶を口に含んで舐める。 「ちょッ、ま、……ッぅ」 弱い部分を刺激され、聖が悲鳴とも喘ぎとも受け取れる声を上げた。 「俺に悪戯するのではなかったのか ? 」 笑み含んだ声が耳元で低く囁き、烙の唇が首筋をたどって鎖骨に移動する。 「ま、待てっ……ッ」 鎖骨を甘噛みされ、強く吸われて聖の身体がビクリと震える。彼の口からは甘い吐息が零れ落ちた。 「身体は嫌がってないようだが ? 」 別に、聖とて嫌なわけではない。ただ――。 「……あんたが俺に悪戯してどうするんだよ」 これではあべこべだ。 聖が不服そうに告げれば、烙はクククッとおかしそうな笑い声を洩らした。 「あまりにおまえが可愛かったからつい、な。おまえが触発されるほど、ハロウィンの飾り付けは盛大だったらしい。それで、何が食べたいんだ ? 」 笑みを浮かべたまま、烙が聖に問い掛ける。 どうやら聖の思惑は、彼にはお見通しだったようだ。 肩を竦めた聖は、今度は迷いもなく答えを口にする。 「南瓜プリン風ケーキ」 ジャック オ ランタンを模した物を見た時から、なんだか久しぶりに食べたくなった、思い出深い菓子。 聖の答えを聞いた烙の笑みが微苦笑に変わる。 「アレか」 「そう、アレ。久しぶりに食べたい」 ある理由から過去に一度だけ、烙はそれを作った。けれど、彼はそれ以降、他の菓子は稀に作ったとしても、今までそれだけは二度と作らなかった。 その理由が何かは聞いてないけれど―― 手作りの南瓜プリン風ケーキ自体は、たまではあっても聖は口にしていた。独り立ちしてからは、たまにしか姿を現さない彼らの息子、銀が作っていたのだ。 自分では作れない聖は、そのお相伴にあずかっていた。 似た者親子の烙と銀のことだ。聖の知らない所で二人、某かのやり取りがあったのかもしれない。 「そういえば、あれは伴侶を見つけたようだな」 烙の示すあれは銀のことだ。彼は滅多に息子の呼び名すら口にしない。 相変わらずな烙の態度に、聖は苦笑しながら口を開く。 「今はまだ、押し掛けちゃ不味いだろ ? 銀の伴侶にも会いたいけどさ」 銀が伴侶を見つけたことはとても喜ばしいことだった。 けれど、それと同じくらい悲しく……淋しいことだった。 なぜなら、銀が見つけた伴侶は――。 「俺が作る物は、あれが作る物の代わりか ? 」 烙の言葉に、聖は目を瞬く。つい先程まで考えていたことなど吹き飛び、おかしくて吹き出した。 「あんたの作る物は格別だよ」 「物だけか ? 」 屁理屈を言う子供のような発言に、聖は烙の首に手を回し、彼を抱き締める。 「獅烙が特別だから。あんたの代わりなんて、他の誰にもできない」 本人を前にして告げるには照れくさい。こうしていなければ、脱兎の如くこの場から逃げ出している所だ。 熱を持つ顔を隠しながら、聖は烙の反応を待つ。けれど、烙からの応えはなかなかなくて――。 「……作ってくれないのか ? 」 不安になった聖は、そのままの体勢で小さく問い掛ける。先程よりも、自然と手に力が入った。 烙は小さく息を吐き出し、聖の頭をゆるりと撫でる。その顔は溢れんばかりの愛しさを湛えていたが、その瞳には獰猛な獣の如き欲望が渦巻いていた。 聖がそれを目にしていたら、即座に逃げ出していたはずだ。 この体勢でよかったと内心思いつつ、烙が口を開く。 「聖凜が望むならいくらでも。ただ―― あと少しこのままで」 今、この温もりを手放したら、聖の望みすらそっちのけで襲いかかってしまう気がする。 そんな危惧のこもった烙の答えだったが、彼の状態など知らない聖はその言葉にクスクスと笑う。 「もう少しだけな」 その囁きは柔らかく、烙の耳には甘く響いたのだった。 |
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