trick or treat



街中に溢れるお化けカボチャを模した飾り。我が物顔で店頭に陳列しているそれらの間を、エンは無表情で通り抜ける。その後を銀は追いつつ、嫌でも視界に入るけばけばしい色味のそれらをいささか呆れ気味に見ていた。
「人はなぜこんなものを飾るのでしょうね」
銀がぼそりと呟く。
彼もハロウィンという行事のことは知っているつもりだ。さほど興味はなくても、長い時を生きていれば自然と知識は増えていく。けれど、知っているということと、理解できるかということは別物だった。
「俺も知らない」
エンは興味なさげに答えを返した。
実際、そう言ったエン自身もハロウィンというものに馴染みがあまりなかった。この行事、もともと外つ国から渡ってきたものだけに彼がまだ子供だった頃にはここまで大々的に広まってはいなかった。だから、彼はハロウィンというものをした記憶がない。
エンの思いを素早く読み取った銀は、少し考えてからこう言った。

「trick or treat」

数秒後。 エンは足を止め、振り返って何事かと銀を見つめる。当然の如く、銀も足を止め、二人は見つめ合うようにして静止した。

通路の真ん中で急に立ち止まった二人を、他の人間達が迷惑そうに見る。けれど、その視線はどれもすぐに興味深そうなものに変化した。
片や人外の美貌の持ち主の男、片や全身黒尽くめのどこか脆く危うい雰囲気を持った青年。そんな二人が意味あり気に見つめ合っているとなれば、好奇心を刺激されるというものだ。
当事者達は他者の視線など意識の範疇外で、まったく気にもしていない。というか、自分達が注目されていることすら気づいていなかった。

「ハロウィンではそう言うのでしょう?」
エンの反応を面白そうに見つめながら銀が訊いた。
いくら縁遠い行事とはいえ、エンもそれくらいのことは知っている。問題は――。
「一般にそう言うのは子供だけだ」
銀がその言葉を言うのはおかしい。
そう遠回しに指摘したエンに、銀は真面目な顔で頷いた。
「ええ、そうみたいですね。でも、私が言っても別に構わないでしょう?」

銀は子供ではないし、そもそも人外の者で人ではない。
それとも彼らの間にそういう風習でもあるのだろうか?

エンは心底、困惑していた。
「意味は知っているのか?」
「知らなければ言いませんよ」
珍しくはっきりと困惑がエンの表情に表れている。その様子に銀はわざとらしく肩を竦めて笑った。
「冗談です」
立ち止まったままのエンを追い抜いて、銀は歩き出す。
その背中をエンは一瞬疑わしげに見た後、彼の背中を追うように己もまた歩き出した。目的地はまだ、先だ。
背後にエンの気配を感じ、彼に見えないのを承知で銀は一瞬、人の悪い笑みを浮かべ、それをすぐに消す。

「予防に、さしあげます」

隣に並んだエンに、銀は手を差し出した。
反射的に受け取ってしまったエンは、手の中に鎮座するなんの変哲もないパッケージに包まれた飴を内心、ひどく混乱しながら見つめた。他人から見たら、その感情は本当に些細にしか表に出ていなかったが――。
銀は予想通りの反応に、一旦は消した笑みが浮かび上がるのを止められずにいた。
「誰かに悪戯されないように、ですよ」
言葉の中に含まれた意味。
けして察しの悪い方ではないエンの顔が呆気に取られたものに変わり、徐々に羞恥のためか、怒りのためか、赤く染まっていく。

「そんな物好きいるわけがない」

語尾が感情に揺れ、掠れていた。
成人は当に過ぎ、何より自分は男である。
エンの主張はもっともなことだったが――。
「あなたは可愛いですよ」
笑みを浮かべたままの銀を、エンは無言で追い越した。

足早に過ぎ去り、向けられた背中。
けれど、銀は見逃さなかった。一瞬とらえた彼の横顔は先程よりもいっそう赤みを増していたことに……。
無愛想な態度はエンの照れ隠しでしかない。感情を表すことが下手なだけで、彼の内面がとても感情豊かであることを銀はちゃんと知っている。

「そういう所が可愛いんですけれどね」
誰にも聞こえないほど小さな声で呟き、クスクス笑いながら銀はエンに追いつき隣に並ぶ。
「そういうあなたが私は愛しい」
エンにだけ聞こえるように銀は少しだけ身を屈め、彼の耳元で囁いた。
その言葉にエンの足がピタリと止まる。羞恥心の限界に達した彼は真っ赤な顔を泣きそうに歪めながら、それでも銀を睨みつけた。
「……あんたには羞恥心ってものがないのか」
押し殺したように唸る声を、同じく立ち止った銀は余裕で受け止める。
「全部本当のことですから」
しれっとした様子に、エンの肩が小刻みに震え出す。

「人の時は短い。こうしてあなたと過ごす時間は、私には瞬きに等しい。だからこそ、余計に私はあなたに対し何物も惜しみたくありません」

頬に触れた銀の手を、エンは払うことができなかった。
その言葉こそ二人の違いをまざまざと表わすものであり、こうして傍に居ても埋めることの叶わないものでもある。
「そんな傷ついた顔をしないでください。―― 抑えが利かなくなります」
近づいてきた銀の顔に、沈んでいたエンは反応が遅れ、避けることができなかった。

触れた唇の感触と周りから聞こえたのは……悲鳴?

ここが何処で、何をされたかをいっきに悟ったエンの頭は完全に硬直し、血の気を下げながら考えることを放棄した。
銀は固まったままのエンを幸いと腕の中に閉じ込め、耳元で囁く。

「冗談で済ますつもりでしたが……気が変わりました」

銀の姿は腕の中のエン共々、次の瞬間にはその場から消えていた。
その場は唐突な出来事に一瞬、静まり返る。そして、そこかしこから先程とは別の意味を含んだ悲鳴が上がった。



trick or treat






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2009/11/01
修正 2012/02/01



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